2014年日光・今市巡察記 前編

 今週まで更新はお休みさせていただきますm(__)m
 1月に行った、日光・今市周辺の巡察記を続きに格納します。
 毎度の通り写真満載でお送りいたします。


 本日もお越しくださいまして、拍手もありがとうございます。では続きに巡察記です。


〜2014年日光・今市巡察記 前編〜
江戸幕府の祖、徳川家康の霊廟のある日光と今市周辺へ行ってきました。
日光へ行くのは結婚直後以来です。

◆日光杉並木◆
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日光といえば日光東照宮。
その東照宮へ続く、日光杉並木です。
杉並木を見るのは初めてでした。
長い、とにかく長い。
そして杉が高く聳え立っている。
家康公が亡くなってから約20年を掛けて整備されたそうです。
今の時代まで連続している歴史に、早くもぐっときました。
しかし…春には来られないですねえ、花粉症持ちとしては(苦笑)
ちなみにこの日は、雪がちらついていました。

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この杉並木の、とある場所に、和尚塚という塚があります。
慶応四年五月の第二次今市攻防戦にて、永倉新八が加入した靖共隊の隊士・矢田賢之助が亡くなったそうです。
ぱっつあんが矢田さんの遺体(胴から下)を埋めたのが、和尚塚だと言われています。
塚の写真は撮らせていただいたのですが、なんとなーく掲載したくないので周辺の杉でお許し下さい。


◆会津西街道についての展示会◆
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日光市歴史民俗資料館に行きました。

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「会津西街道の旧道をたどる」という展示会が開催されていました。
会津西街道とは、
・会津若松城から南下し日光の高徳という場所を経て西の今市に至る道筋
・高徳から東へ進み、鬼怒川の阿久津河岸へ至る道筋
の総称だそうです。

五街道のひとつ、奥州街道の脇街道として栄えた道で、
新選組的には副長が会津へ行くのに使った道とのことです。
旧道の現地写真と地図がたんまり展示されていて、
地図マニアックスにはたまらない内容でした。


◆今市仮本陣跡◆
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さて、今市へ移動です。
この道筋に、怪我を負った副長が運び込まれた今市仮本陣大島半兵衛跡があります。
本陣は文化年間以降に焼失し、大島家(または脇本陣岸屋)が仮本陣として御用を務めていました。
現在は某銀行になっています。
車の中から写真を撮ったら、銀行のガラスドアに車がばっちり写ってしまったので、
道の写真のみで失礼します。


◆今市宿市縁ひろば◆
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ここでお昼を食べました。
ちょうどフリマをやっていて、骨董品がいっぱい出てました。
煙管とか、ちょっと欲しかったです(笑)

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ひろば内にあった、縁結びの神様。
前座の石にある○の穴は、縁(えん=円)を現しているそうです。
穴から拝殿を拝むもよし、石を神様に見立てて○の部分をハートとして掴むもよし。
ご縁結びにどうぞ、とのことでした。


◆如来寺◆
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1400年代後半に創建され、寛永九年(1632年)には3代将軍徳川家光が日光参詣のために宿泊したお寺です。

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本道の脇に…

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宿泊用に建てた御殿の柱跡が残っていました。

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戊辰戦争の供養塔もありました。


◆回向院◆
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こちらには、土佐藩と佐賀藩の官修墳墓がありました。
なんとなーく掲載したくないので、案内板だけで失礼します。


◆法蔵寺◆
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この法蔵寺も今市攻防戦の際に被災したお寺だそうです。
小高い丘の上の上にあるお寺で、旧幕府軍の拠点になったら困るからと火をかけられました。
建物はこの赤い山門を残して全て燃えてしまったらしいです。

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燃え残った樫の木。
写真では見えにくいのですが、焦げたような跡がありました。


今回はここまでです。
ここまでお読みいただきありがとうございました。


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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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