2014年上野周辺・寛永寺墓参記 その1

先日訪れた上野周辺と寛永寺墓参のレポートです。
お読みくださる方は続きへお願いします。
※連載のネタバレも若干あります。

 本日もお越しくださいまして、拍手もありがとうございます。では続きにレポートです。

〜2014年上野周辺・寛永寺墓参記 その1〜

まずは浅草駅で降りて、歩きました。

◆八幡神社◆
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元禄十三(1700)年、豊後国(大分県)の宇佐八幡宮を勧請して創建。
明治維新後は浅草神社(浅草寺のお隣にある神社)の社務も兼ねたそうです。
昭和二十年の東京大空襲で元の建物は焼失し、四年後に再建され、現在の建物は昭和四十七年に立て直されたものです。
ペディア先生によると、宇佐八幡宮は、京都の石清水八幡宮・福岡筥崎宮(または鎌倉の鶴岡八幡宮)とともに日本三大八幡宮の一つだそうです。すっごいところから勧請してきたものです。
たまたま立ち寄ったのですが、ここでお参りさせていただき、今日一日の無事をお祈りしました。


◆長敬寺◆
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西浅草にあるお寺さんです。

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彰義隊隊士の、安藤虎五郞さんのお墓です。
彰義隊に加盟したのは、1868年2月に円応寺で行われた会合の時と伝えられています。上野戦争敗戦後は榎本武揚の旧幕軍艦に合流し、蝦夷地に渡りました。函館戦争では彰義隊指図役として戦いましたが降伏を余儀なくされ、青森にて謹慎させられ、明治2年8月13日に三十歳で病死しました。兄が養子に入った「市川家之墓」に合葬されており、側面に「彰義院釈光山心居士」の戒名があります。
墓石自体は比較的新しいもので、戒名もはっきりと見えました。


◆東本願寺◆
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浄土真宗。浄土真宗東本願寺派本山東本願寺。本尊は阿弥陀如来。
1600年前後に、徳川家康の庇護によって江戸神田に江戸御坊光瑞寺が開創されたのがはじまりで、1609年には神田明神下に移転、明暦の大火によって築地か浅草かを提案され、浅草に移転しました。
大政奉還後、上野寛永寺に蟄居していた徳川慶喜の擁護を目的とする彰義隊が結成され、その拠点となりました。

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京都の西本願寺みたいに、とってもでっかいです。

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この塀が続くところまで、ずーっと東本願寺の敷地でございます。


中途半端なところで区切って申し訳ないですが、今回はここまでです。
ご覧いただき、ありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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