2014年上野周辺・寛永寺墓参記 その4

 レポート最終回です。
 寛永寺における、徳川家霊廟の参拝などの様子をご紹介いたします。


 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信もありがとうございます。では続きへどうぞ。





〜2014年上野周辺・寛永寺墓参記 その4〜

◆寛永寺◆

はい、とうとうここまできました。
この記事のメインイベント、寛永寺さんにおける墓参です。
鶯谷駅から散策開始。
ちなみに鶯谷は、私の母方の祖母の生まれた場所でして。
そこから出発できるなんて嬉しかったですねえ。


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厳有院殿霊廟勅額門。
寛永寺に向かう途中に突然現れます。
徳川四代将軍家綱の霊廟の門だったそうです。


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客殿。
徳川葵の幕(ハフハフ)


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まずは根本中堂にて説法を聞き、お念仏を唱えさせていただきました。
こちらのお堂、元のお堂は慶応四年の上野戦争で焼失しております。
現在立っているお堂は、川越の喜多院から移設されてきたものです。


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白い壁の向こうにある建物が、いわゆる「慶喜公謹慎の間」です。
中は10畳と12畳の二間で、ここで謹慎するまで大邸宅やお城で暮らしてきた慶喜公が、このたった二間という空間で過ごしていたなんて、どんな気持ちだったのだろうと…。


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常憲院霊廟勅額門。
五代将軍綱吉の霊廟の門です。

この奥の徳川家霊廟は、家定公・天璋院(篤姫)ともに大きな宝塔で、迫力がありました。
お墓の中では皆様、公家の正装をしてお座りになっているとのことです。
同じく徳川家の墓所となっている港区芝の増上寺は戦火により改葬されており、その時の調査で中の様子がわかっています。
寛永寺は改葬も調査もされていませんが、中はおそらく同じような状況なのではないかとのことです。
公開される機会が少なかったので、墓所として非常に時の止まった静けさを保っていました。
撮影禁止だったので写真はありませんが、興味のある方は「寛永寺 徳川家霊廟」でググってみてください。

5名以上で申し込めば参拝出来るとは言え、友達が少ない私には人数を揃えるのは難しいと思います。
今回はご縁があって参拝させていただき、有り難かったです。

そしてこの後、不謹慎ながらもお墓の中がどうなっているのかが気になって仕方なくなり、増上寺や他の大名のお墓の改葬・調査レポートをまとめた本を読みました。お墓の中の写真などもあるので、そーいうのが大丈夫で興味のある方はどうぞ。



レポートは以上です。
ここまでお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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