oh my ancestors〜母方編 その2〜&拍手お返事

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前回からだいぶ空いてしまいましたが、母方について続きです。
母方の高祖父たちについてです。

高祖父、つまり私の4代前の人は、名前だけわかっています。
曾祖父と同じくS区に住んでいたのですが、その前に別の区に居住していたことがわかっています。
そちらに行って記録が残っていれば、生年月日がわかるはずなのですが、曾祖父が明治の十年代に生まれているので、高祖父は間違いなく幕末の人物です。

高祖母は生年月日がわかっています。万延年間です。幕末キタ━(゚∀゚)━!
4代前は幕末かあ、と感慨に耽っておりました。

他の人の戸籍も見ていると、あることに気が付きました。
高祖母と、曾祖父の弟が、同じ日に亡くなっているのです。

日付は大正十二年九月一日。

ふつーはこの日付を見てピンとくるのでしょうけれども、私の脳内では日本の歴史が幕末でストップしている上に、幕末生まれのご先祖様がわかったということで、頭がいっぱいでした。

実はこの調査を行った日に、上にある写真のライブハウスへ行きました。
調査後に友達と待ち合わせてお茶している時に、彼女も興味があるので戸籍の書類をを見てもらったところ…。


「奈鳩さん、この人たちの亡くなった日、関東大震災の日ですよ!」


…え?
大正十二年九月一日って、関東大震災の日?


彼女は明治期以降の日本史に精通しているため、すぐに気づいたそうです。
さらに戸籍の種類をもっとよく読んでみると、亡くなった場所が「被服廠跡」と書かれていました。

被服廠跡とは、現在の両国国技館や江戸東京博物館の辺りで、陸軍の被服廠があったところです。
赤羽に被服廠が移転し、広い敷地は公園予定地として更地になっていたとのことです。
関東大震災が起こった日は、近隣の人たちが家財道具を持って避難してきた。
けれども、火災とそれに寄って起こった尋常ではない熱風で、被服廠跡にいた人たちは大部分が亡くなってしまいました。

その数、およそ三万八千。
その中のふたりが、自分の身内だったなんて。

これまで、九月一日といえば確かに関東大震災の日で、避難訓練などをこなしていました。
今年は身内が犠牲になったとわかって、より深くこの日の意味について考えるようになりました。

それと、今まで江戸東京博物館には展示目的で行っていたけれど、次に行く時には、慰霊の気持ちを持って行きたいと思います。死者を祀った東京都慰霊堂にも参拝したいです。

☆☆☆

暗い話題になってしまったので、母が伯父から聞いているお話をひとつ。
高祖父はS区に住んでいる時に、某幕臣のお父様と同一地区内でお世話になったそうです。
犬にコカンをガブっとやられちゃった、あの方のお父様。
もし本当だったら、どんな感じだったのかなあ。
これについても、裏付けがとれたらいいなと思っています。


 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信もありがとうございます。お返事は続きへ。



〜拍手お返事〜
>沖田先生へ悶えてくださった方
 こんばんは、お声がけありがとうございました。
 本誌の方でも拙宅の方でも、沖田先生がかわいそうなことになってしまっているので、明るく描きたいなと思いました。それとあの本がどこでどう繋がったのかは自分でもわかりませんが、あの本は意外とウフン以外の情報が多いので、きっと沖田先生なら見つけるはず、と思います。


 押してくださった皆様、ありがとうございました。


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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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