2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/3 その1

 申し訳ありませんが、今週の更新はお休みさせていただきます。
 ちょいと調子に波がございまして、創作が出来るまでに至りませんでした。
 代わりに、先日行ってきた京都巡察の第一弾をお届けします。
 今回は普段の幕末を探る旅ではなかなか行かないところへ行くことが多かったです。
 あるいは、近くを通ってもスルーしていることがあったりする場所とかですね。
 より深い幕末の世界へ、どうぞご一緒に。

 本日もお越しくださいまして、拍手もありがとうございます。では、写真満載にて続きへどうぞ。

〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/3 その1〜

◆草津宿◆
kyouto2014-10-1-01.jpg
深夜、東海道を西へと進み、明け方に滋賀県甲賀市にある甲南パーキングエリアに到着。
しばし仮眠して、草津に着きました。


kyouto2014-10-1-02.jpg
草津宿本陣(田中七左衛門本陣)です。

 慶応元年四月、壬生から西本願寺へ移転した直後、土方副長・伊東参謀・斎藤兄上の三名は、2度目の隊士募集のため江戸へ下っています。江戸での募集を終え、新入隊士を引き連れた一行は、五月九日にこの草津本陣へ宿泊、翌日入京したと推察されています。

 ここには大福帳(宿泊名簿)に土方副長以下三十二名(分宿したと思われる)の名前が記入されているそうです。この時は早朝で本陣が開いていませんでしたが、開いている時には大福帳を見られるとか。浅野内匠頭や吉良上野介、和宮、シーボルトといったお名前もあるそうです。ちょう見たい。

kyouto2014-10-1-03.jpg
朝っぱらから町並みにうっとりして、シャッターをばしばし切ってました。


◆大津・川瀬太宰邸跡◆
kyouto2014-10-1-04.jpg
草津を出て、さらに西の大津へ参りました。
こちらは大津市尾花川にある、川瀬太宰邸跡です。新選組の佐野七五三之助が、慶応元年閏五月、家宅捜索にやって来たそうです。

 佐野七五三之助は、元治元年十月に行われた1度目の江戸での隊士募集で、伊東さんらとともに加わった新選組隊士です。風でもおちょぼ口のキャラとして、一コマだけ描かれていたと思います。慶応三年正月、伊東さんたちと島原にて三日間の居続けを行ったひとりです。伊東参謀が分離した際は新選組に残りましたが、幕臣取り立てに異議を唱えて新選組離脱を画策、失敗して中村五郎らとともに切腹しています。

 川瀬太宰は、近江国膳所藩家老・戸田五左衛門の五男で、養子に出て聖護院宮(幕末に活躍した中川宮の異母兄。川瀬が仕えていた際は曼殊院宮と名乗っていたかも)に仕え、妻の実家の苗字である川瀬を名乗り、名前も太宰としたそうです。

 膳所藩が佐幕と勤王に割れる中、川瀬は勤皇派に属しました。資産家で市街の大邸宅を所有していたため、藩内の勤皇派をかくまっていたそうです。

 川瀬は慶応元年閏五月、幕府の長州征討を阻止しようと、将軍徳川家茂の暗殺を企てたとして幕府に捕縛されてしまいました。その後の家宅捜索としてここに、佐野七五三之助・隊士数十人および京都町奉行所の総勢三百名が訪れたとのことです。

 家には妻の幸がおり、着替えるので待って欲しいと伝えて邸内に戻ると、川瀬の書類を焼いて処分し、自分は喉を突いて自害を図りました。この場で即死したとも、助かった後に食を断って亡くなったとも言われています。川瀬は京都の六角獄舎に送られ、慶応二年六月七日に斬首されました。

 この邸宅跡の碑は、参考図書によると皇子山中学校校門の斜め前とのことですが、校門を右手にするとかなり手前の左側の民家の土地でした。車で通過する時に見落としてしまったので、覚書としておきます。



 今回はここまでです。お付き合い下さりありがとうございました。
 次回は三井寺をお届けいたします。


<参考図書>
新選組日誌 上 (新人物文庫)
新選組史跡事典 西日本編

コメント

非公開コメント

web拍手
コヤマライヴジム
ブクログ
カテゴリ
プロフィール

小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

QRコード
QR
リンク
検索フォーム