〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/3 その4〜

 今回から幕末を感じられる場所に突入です。
 まずはちょこっと御所、そして私が個人的にとても行きたかったあの場所へ(^^)


 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信などもありがとうございます。では続きにレポートです。



〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/3 その4〜

さて、よその時代とはお別れして、いよいよ幕末の時代へと参ります。

◆蹴上◆
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京都に入りました。
蹴上です。浪士組の面々が中山道を通って入京した場所です。


◆プレ京都御苑◆

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こちらは京都御苑(御所)の西側、中立売門の北にある休憩所です。
幕末には施薬院跡でして、
・文久三(1863)年に起きた八月十八日の政変時、松平容保が孝明天皇の命で宿舎とした
・慶応元(1865)年5月22日、上洛した徳川家茂が御所参内の前に衣冠に改めた
・永井尚志と近藤勇が会談を行った(日付および内容不明)
という場所であるそうです。

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中にはお食事処があり、お昼ご飯をいただきました。
とても広い場所で、団体さんが来てもいっぱい座れそうです(^^)

この後、御所の見学を予定しており、時間が少しだけあったので、私が今回とても行きたかった場所へ行ってもらいました。


◆相国寺◆
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夢小説の中で書いた、薩摩藩二本松藩邸、相国寺さんです。
ここでヒロインは赤松小三郎と一緒に『英国歩兵練法』の翻訳をしたという設定になってます。
場所は京都御苑の北、同志社大学に隣接しています。
幕末時は同志社大学の一部も寺域だったようですね。

薩摩藩の藩邸だからきっと大きめなんだろうな〜って思ってたんですが…。
上の写真でご確認いただけるように、参道がとても長い。
これは寺域が広い証です(コヤマの個人的な経験から)

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勅使門。天皇の勅使が通る時だけに使われる門です。
こういったものがある時点で、巨大な伽藍を擁し、かつ歴史的にも重要なお寺であることがわかります。

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素晴らしく立派な鐘楼。
軒下の手先は何重になっているのでしょうか^^;
ちなみに中に吊り下げられている鐘は寛永六(1629)年に作られたもので、鐘楼自体は天保十四(1843)年の造影だそうです。総司・兄上・へーすけが生まれる前年です。わーお。

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庫裏。
お屋根の上にもうひとつお屋根が。
同じ臨済宗だからでしょうか、高台寺月眞院と似てませんか?

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時間が少ししかなかったのと、予想以上に広大な敷地だったため、全部は回りきれませんでした。
再訪を心に秘めつつ、御苑の北にある今出川御門から御苑内に戻りました。

相国寺さん、行けてよかったです。
やはり自分で書いたところには、行けるものなら行ってみたかったですからね。
そして、広くて立派な境内を拝見し、「あー夢小説内でコレ反映したかったあぁ」と頭を抱えました(苦笑)



今回レポートした先の地図です。間違ってたらごめんなさい。

 次回は御所拝観をお届けいたします。 
 ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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