西本願寺における新選組の新発見資料発表会&中央区史跡探訪

 11日に行ってきた表題のレポートです。長くなりすぎたので続きへ格納します。

 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信もありがとうございます。では、興味のある方は続きへどうぞ。



〜西本願寺における新選組の新発見資料発表会&中央区史跡探訪〜

 築地本願寺さんに行ってきました。

 今年九月に、京都の西本願寺さんのお寺の業務日誌から、新選組に関する記述が出てきたとの新聞発表がありました(その際は皆様に各種新聞記事を集めるのにご協力いただき、ありがとうございました)。
 11月に東京の築地本願寺さん、12月に京都の西本願寺さんでその内容についての公開講座が催されるとのことでしたので、東京での開催に申し込んで、参加してきました。

 家族に協力してもらい、乗る予定だった1本前の電車に乗ることが出来ました。
 が、途中の駅でアクシデントがあったらしく、電車がノロノロ運転。 遅れたらどうしようとヒヤヒヤしながら築地駅に到着しました(*_*;

◆築地本願寺◆
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築地本願寺さんに到着。
実は築地に行くのは初めてでして。もちろん築地本願寺さんも初めてです。インドの様式を模した寺院建築に圧倒されますね。
この日は宗祖親鸞上人のご命日の法要である「報恩講」の初日という、とても大事な日でございました。

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この塀は本堂とともに、関東大震災後の復興期における貴重な建造物として、国の登録有形文化財に指定されているそうです。

 本道の左側に位置する第二伝道会館内「蓮華殿」が会場です。
 入ってすぐに、ガラスケースがありました。ケースの中には、今回発見された史料の原本の一部が展示されていました。壁にはパネルで史料のコピーが貼られていました。皆さん熱心に見入っていました。

◆公開講座◆
 講座は2部制になっていました。
 第1部は浄土真宗の宗祖・親鸞上人のお話から。
 タイトルは『親鸞上人の行実をめぐる二、三の知見ー関東伝道800年に寄せてー』です。
 今年は親鸞上人が関東にて伝道をされて800年(!)にあたるそうです。
 親鸞上人は、京都に生まれ、比叡山にて修行を積んで僧侶となりました。が、念仏弾圧に遭い、越後に配流されてしまいます。その後、許されて関東に伝道し、京都へ戻って生涯を閉じました。

 その途中で、親鸞上人には、足取りの分からない空白の期間が20年ほどあるそうです。
 20年…相当な年数ではございませんか。ましてや、宗教の歴史では必ず出てくる方なので、その軌跡に不明な部分があるなんて、まったく知りませんでした。

 その20年間に何があったのか。残っている逸話を参考にしながら、それが史実的に正しいのかを、私見をまじえつつ検証していくという内容でした。調べていく過程も明かされて、研究者の方の解明するんだという情熱を感じました。

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休憩をはさみ、いよいよお待ちかねの第2部。
 『新選組 土方歳三のゆ・う・う・つー新発見史料からー』が始まりました。
 9月3日に新聞発表があった、西本願寺における新選組関連の新発見史料についてのお話です。
 (ちなみに拙宅でも取り上げた、その時の記事はこちらからどうぞ)

 配布された資料は、お寺の業務などが書かれた日誌「諸事被仰出申渡留」「諸日記」より、新選組に関する記述のある4ヶ所の翻刻と文意・幕末当時には西本願寺の北集会所で、現在は亀山本徳寺の本堂の平面図・新選組史の略年表でした。

 お話をしてくださったのは本願寺資料研究所の研究員さんでした。
 この方がお話上手でして、 新選組ファンが多くいる場で 「西本願寺の人間なんで、新選組は…ゴニョゴニョ」みたいなオープニングで始まり、最後まで笑いの絶えない楽しい発表をしてくださいました。

 お話は、4ヶ所の資料のうち3番目から。副長が西本願寺さんへ書いた手紙の写しです。
 スクリーンに原本が映し出されると、おおおと歓声が上がりました。
 「これ、もらった手紙の写しですから! 土方の直筆と違いますからね!(会場どっと沸く) 手紙などの類はあちこちから来るので、全てを保管するのは物理的に難しいんです。だからこうして写しとって、現物は破棄します。一応、今回の発見に当たって、現物がないか確認してみましたけど、なかったですね」と研究員さんがおっしゃっていて、わざわざ確認してくださったんだとありがたく思いました。

 写しの内容は、「先程そちら(西本願寺さん)へ伺って無理なお願いをいたしましたが、早速聞いてくださりありがとうございました」という、お礼のお手紙でした。無理なお願いというのは、お寺さんの北集会所を屯所として借りたけれども、人数に対して場所が「ひとり畳一畳」と狭く、夏場は暑くて仕方がない、隊士からも苦情が出ていて抑えきれないので、阿弥陀堂の一部もお借りできないか、という、新聞記事にもなったアレです。

 これのどこが無理かと言うと、阿弥陀堂はご本尊である阿弥陀様などが収められています。聖域です。
 そこを、一部とは言え、門徒でもないよそ者に貸し出すなんて、まずありえません。
 
 ですが、暑さをどうにかしないわけにもいかない。
 そこで西本願寺さんは、北集会所の貸出スペースを広げることにします。
 北集会所もお寺さんの施設ですので、中には仏像を安置する場所(内陣。新選組が入るとわかってから仏像を撤去しておいたのではないかとのこと)があったそうです。貸し出していたのは外陣の部分のみだったようなので、内陣の一部と、内陣のさらに外側でお坊さんたちが出入りする後堂(うしろどう)に畳を敷き、スペースの追加をしたそうです。

 200畳で一人一畳程度のスペース、ということですが、
 「今日皆さん集まって頂いた数が約200人です。つまり今、ここにいる人数が北集会所にいたということになります」と研究員さんがおっしゃったので、会場内を見回してみました。周囲に多少の空きはあっても、人がひしめき合っています。蓮華堂が北集会所と同じサイズかどうかはわかりませんが、かなり近い広さだったかもしれません。だとしたら、けっこう圧迫感がある感じです。今は秋だからそれでも我慢できますが、夏場になったら暑いどころの騒ぎではなく、苦情が出るのも頷けるような気がしました。

 手紙からは、副長の交渉術が窺えます。
 おそらく本来希望していた拡張スペースは、北集会所内だったのでしょう。ですが、残っているスペースは本来仏像が安置されている内陣と、僧侶しか出入りしないはずの後堂です。ここをどうやって勝ち取るか。そのためには、絶対無理な阿弥陀堂を指定し、相手が阿弥陀堂を貸すぐらいならと妥協させるあたり、うまいなあと。

 お話はさらに、副長の手紙の書き方にも及びました。
 副長は手紙の中で、非常に丁寧な言葉を選び、下手に出ています。何としてでも、暑さからくる隊士たちの要望に対処せねばならなかった。その理由は、この時期の世相にあると研究員さんは述べられました。

 「私は新選組の専門ではないので」と断られた後、資料として配布した新選組年表を示されました。
 年表によると、西本願寺さんへ移転する前、幕府は英仏米蘭の連合艦隊による下関攻撃などから、攘夷は無理だと感じ、事実上攘夷を放棄してしまいます。近藤局長も江戸へ東帰した際に松本良順先生と面会し、攘夷の難しさを知ります。

 新選組の中には、攘夷を行いたい者が少なくなかった。しかし、彼らを雇っている幕府や新選組の上層部は、攘夷が無理だと言う。そこで「攘夷するんじゃなかったのかよ」と脱走・切腹事件が相次ぎ、新選組は崩壊の危機的状況に陥りつつあった。それを少しでも食い止めるため、副長は北集会所での住居待遇改善に奔走したのではないか。というのが研究員さんのお考えでした。

 また、なぜ西本願寺さんが屯所として選ばれたのかについても、移転前年にあった禁門の変で街中が焼けてしまい、200人近い人数を収容出来る場所として最終的に残ったのが北集会所だったという見解でした。

 新選組に対しては、西本願寺側の人間としてあまりいい印象は持っていなかったそうですが、今回の史料発見を発表したところ、大変な反響があり、公開講座にもたくさんの人数が申込をしてきたとのことで、
 「今は新選組が好きになりました」
 客席からは大きな笑いが起りました。

 さらに、
 「北集会所を、本堂に使うということで亀山本徳寺にあげちゃいましたけど、今あれが(お西さんに)あればよかったですね。あげなきゃよかったなあ〜」
 とまでおっしゃって、もう会場内は大ウケ、笑いの渦に巻き込まれました。

 この研究員さんは大阪の方だそうです。
 サービス精神いっぱいの、盛り上がる話術もさることながら、江戸でも京都でもない方で、さらに西本願寺さんの方という面白い立場からの目線がすごく新鮮でした。なお、今回の講座の内容は、12月に京都で行われる講座の後、まとめられて研究所の所報に掲載されるそうです。所報は研究所のウェブサイトにもアップされるので、詳しくはそちらでご確認下さい。

 今回の発見場所は14ヶ所とのことですので、その詳細がいずれ全て明らかになることと、前後にもっと関連記述が見つかるといいなと思いつつ、会場を後にしました。


◆築地周辺散策◆
築地の場外市場でお寿司を食べて、周辺を歩きました。

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まずは波除神社。
創建は万治年間(1658~1662)とのことです。築地一帯は埋立地なのですが、埋め立ての工事中、波によって工事が難航していた所、海の中を漂う稲荷明神を祀ったら波が治まり、工事は無事に終わったとのことです。航海安全・災難除け・厄除けなどの神様として信仰されています。

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場所柄、すし塚や海老塚…

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玉子塚(すしネタ?)などもありました。

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さて、築地市場に参りましょう。

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魚河岸水神社遥拝所です。
徳川家康の江戸入府とともに移住してきた人たち(日本橋魚市場の開祖)が、大漁・海上安全や子孫繁栄を祈願して祀った「大市場交易神」が始まりと言われています。
左に見える「旗山」の石碑は、明治維新後にここが日本海軍発祥の地となったことを残しています。

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お賽銭箱の模様も、波を象っているのでしょうか。

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近くには、吉野家1号店がありました。
築地市場は今後、豊洲に移動するそうなので、このお店もなくなってしまうそうです。

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築地から出て、築地六丁目の軍艦操練所跡へ。右側に白い塀がずーっと続いていますが、そこも敷地です。
ここには元々講武所があったのですが、西洋式海軍の必要に迫られた幕府が、安政四(1857)年に軍艦教授所(後の操練所)を講武所内に創立しました。後に講武所は移転し、軍艦操練所オンリーの敷地となりました。永井尚志や勝海舟が頭取を務めておりました。

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これは近くのビルから撮影したものです。
写真中央の、丸くカーブしている内側が築地市場です。

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右側には浜離宮が。
人が米粒以下に見えるので、実際に歩いてみたらきっと広大な敷地なんだろうなあと。

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更に右側には某テレビ局。

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もう少し歩いて、土佐藩邸下屋敷跡。
ここに龍馬がいたらしいです。

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最後に、東京タワーが見える素敵な夜景のお店でご飯を食べて帰ってきました。
珍しくちょいお高めなお店に行きましたが、話している内容はいつもどおり幕末考察(笑)


◆おまけ◆
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メンチ切ってるシリーズ。
こちらは築地本願寺さんの狛犬。

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波除神社さんの狛犬。

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そして、波除神社さんに鎮座している獅子舞の頭。
すっごいでっかいんですよ。人の背丈ほどもあるんじゃないでしょうか。
噛まれたら10年分はご利益ありそうな気がします。


 以上、駆け足ではございましたがご紹介とさせていただきます。
 もし京都で12月に行われる公開講座へ行くのを迷っていらっしゃる方がいたら、ぜひ行って欲しいと思いまして、急いでしたためました。とても楽しいお話でしたので、是非是非に。というか、私もまた行きたいぐらいです(笑)

 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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小山奈鳩

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時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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