〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/4 その2〜

 間が空いてしまいましたが、レポートの続きです。今回は泉涌寺&戒光寺墓地です。
 小出しになりますがお許し下さい。


 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信もありがとうございます。では続きへレポートです。


〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/4 その2〜

◆御寺泉涌寺◆
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泉涌寺でございます。
 現在のような大伽藍になったのは承久年間(1219年〜)ということですが、元は天長年間(824年〜)に空海(弘法大師)がここに庵を結んだことに始まるそうです。
 仁治三(1242)年に四条天皇が葬られてからは、歴代天皇の山陵が40以上も営まれ、天智天皇以降の歴代天皇の御尊牌(位牌)も祀られており、皇室の香華院(菩提所)となっています。御寺(みてら)と呼ばれる所以です。

 ちなみにこの門は、御所の内裏の門だったそうです。
 慶長年間に徳川家康が後水尾天皇即位の際に御所を再建したのですが、その時の旧材を移築してきており、桃山時代の建築がそのまま残っているそうです。素晴らしきエコ。

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門の中は坂道になっており…

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仏殿。
徳川家綱による再建で、寛文八(1668)年の建築。

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舎利殿。
御所の御殿を寛永年間に改装再建したもの。

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浴室も残っています(個人的趣味)

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そして、新選組史としては、分派した御陵衛士が守ったと言われている、孝明天皇陵。
陵の入り口です。残念ながら中には入れません。

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おそらくこの写真の中央に写っているのが陵の一部なんじゃあないかと…。
幕末当時、伊東参謀たちはどこでお守りしていたんでしょう。
上の写真の門の前か、それとももっと奥だったのか。
高台寺月眞院からは4km近い距離がありますから、毎日通ったとすると通勤時間は徒歩で約1時間。
勤皇派には恐れ多い場所だったでしょうから、お守り出来るのは身に余る光栄ぐらいに思ってたのかなあ。
足を向けては寝られなかっただろうなあ。
とか、いろいろと考えてしまいました。


◆戒光寺墓地◆
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そんな彼らが眠る、戒光寺墓地。手を合わせてきました。
油小路の変で殺された伊東一派ははじめ光縁寺に葬られましたが、のちにこの戒光寺へ改葬されたそうです。
泉涌寺からほど近いここへ、誰が改葬したのでしょうか。


 今回の旅で一番行きたかったのが、この泉涌寺と戒光寺墓地でした。
 どちらもこれまで行ったことがなく、お参りしたいとずっと思っていました。
 行ってみて、孝明天皇や参謀一派の何かがすとんと落ちてきたような気がしました。
 感じた空気はきっと、今後の幕末調査に響いてくると思います。


 今回はここまでです。
 次回は天王山とこの旅のメインイベント・戊辰戦争慰霊祭をお送りいたします。
 ここまでお読み下さり、ありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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