〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/4 その3〜

 天王山に登りました。


 本日もお越しくださいまして、拍手や一言送信もありがとうございます。では続きにレポートです。



〜2014年秋・京都の幕末探訪deep 10/4 その3〜

◆天王山◆

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慰霊祭は伏見で行われることになっていましたので、その付近の史跡ということで、天王山に行ってきました。
元治元(1864)年七月十九日、禁門の変が起きました。
長州藩士の真木和泉らはここ天王山に登って立てこもり、最後は自害します。

 新選組も会津藩兵とともに真木らを追いかけてここに来ています。
 山の下に辿り着いた新選組は隊を二分し、局長・源さん・ぱっつあんたち20名が会津藩と山へ登って真木らを追撃し、副長・総司・サノ・へーすけと残りの隊士が山の下を固めていたそうです。

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天王山、やっぱり山なんですよ。
ひとつ前の写真に「十七烈士の墓 約600m 徒歩20分」とか書いてあるし、当時の人達は鎧甲冑で登ったわけですから、あんまり高い山を想像していなかったのですが、やられました(苦笑)
登っていく人、降りてくる人が皆、登山の格好で手にはマイストックとか持ってるんです。
一方、私たちは午後の慰霊祭に向けて、それなりの格好…つまり、登山の格好ではないわけです。

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階段のありがたみも、もはやわからない^^;

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途中の休憩場所からの眺め。
画面中央にあべのハルカスがそびえ立っています。

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山道の途中に、突然に。
禁門の変で亡くなった、十七烈士の墓所が現れました。

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会津藩兵や局長たちが山に登って行くと、真木が姿を見せて詩を吟じ、鉄砲を打ってきました。
その弾にぱっつあんがあたり、怪我をしたそうです。
真木らは陣小屋に火をつけ、自害したと伝わっています。

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ひとりずつお墓がありました。
代表して真木さんのお墓。

 結構な高さのある山の中にこれだけ立派なお墓を建てるというだけでもすごいのですが、10年毎に慰霊祭を行っているようで、記念碑がいくつも建てられていました。自分の中の佐幕尊王を超えて、素直に感服いたしました。


 今回はここまでです。
 次回は戊辰戦争東軍殉難者慰霊祭の模様をお届けいたします。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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