2015年4月 板橋新選組諸隊士慰霊祭&板橋宿散策 後編

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前回に引き続き、さらに板橋宿を京都側へ向かって歩いてみました。
この写真は板橋がかかっている石神井川です。
お読みくださる方は続きへお願いします。


〜2015年4月 板橋新選組諸隊士慰霊祭&板橋宿散策 後編〜
◆中宿◆

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お昼ご飯を食べて、再び板橋宿に戻ってきました。
板橋宿は2.2km(1.7kmとも)の長さで、道の京都側から上宿・中宿・平尾宿の三つからなっていました。
この写真は中宿です。前回ご紹介した平尾宿は江戸寄りの宿だったわけですね。

◆遍照寺◆
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途中で更地がありました。
何かなと思ってみてみたら・・・・

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お寺さんだったようです。
遍照寺というお寺さんで、江戸時代は区内唯一の真言宗寺院でありました。
明治四年に廃寺となり、明治十四年に旭不動堂と称して成田山の講の道場となり、昭和二十二年に真言宗寺院として復活、現在は成田山新勝寺の末寺です。
宿場時代の境内は馬つなぎ場で、幕府公用の馬や継立て用の馬などが繋がれていたそうです。

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本堂が建替え中とのことでした。
更地にはお地蔵さんなどが残されており、再建が待たれます。
堂内には上宿に寄宿していた町絵師・柴左一という方が明治期の遊女道中を描いた扁額が収められているそうなので、再建されたらぜひ見てみたいです。

◆板橋宿本陣跡◆
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本陣を務めた飯田新左衛門家の跡地です。
慶応四(1865)年三月十三日から四月二十四日まで、東山道軍先鋒総督岩倉具定(岩倉具視の息子)が東山道総督府本陣とした場所で、同年四月四日、流山で出頭を命じられた大久保大和こと近藤勇が護送されてきた場所と想定されています。

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飯田新左衛門家の敷地には門があり、玄関式台を備えた建物は九十七坪。
残っている史料からは、他の宿と比べると小ぶりな構えだったそうですが、江戸から約10kmという近さの宿ですので、お泊りより休憩所としての役割が主だったようです。
建物は残念ながら明治二十三年に火事で消失。現在はスーパーマーケットが建ち、人々の生活を潤しています。

◆板橋宿中宿脇本陣跡◆
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上宿に向かって歩いて行くと、左の道脇に脇本陣跡の碑がひっそりと立っています。
板橋宿を守っていた飯田家の総本家であり、本陣は新左衛門家に任せましたが、脇本陣や名主、問屋場を務めたそうです。総本家と新左衛門家は協力し合い、板橋宿の中心である中宿の維持・運営にあたってきました。

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和宮下向の際には本陣役、板橋宿本陣の項でも述べた東山道軍進軍の際には本営(本陣とどう違うのかは調査不足)、明治天皇行幸の際にも本陣役を務めるなど、格式は高かったようです。

◆板橋◆
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地名の由来にもなったと言われる、板橋です。
なんと鎌倉から室町期にかけての古文書には、すでに板橋の名がでているとのこと。

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江戸時代の板橋は長さ16.2m、幅5.4mある、太鼓状の木橋でした。
寛政期・天保期の二度修復が行われた記録があり、大正九年に新しい橋に架替。
自動車の普及に対応するため昭和七年にコンクリート製の橋に変更。
現在の橋は昭和四十七年に架け替えられたものだそうです。
ルート的にはどうなんでしょう、局長もこの場所にあった橋を通ってきたのか気になります。

◆平尾宿脇本陣跡◆
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道を江戸寄りに戻ってきて、平尾宿の脇本陣跡に来ました。
板橋に連れてこられた近藤局長が、処刑されるまで幽閉されていたのがこの脇本陣である豊田家と伝わっています。
幽閉場所は他にも伝わっており、一か所ではなかったかもしれないそうです。

処刑当日太刀取りを務めた横倉喜三次の遺稿によると、局長幽閉の様子は、足枷の上入牢。
着いてきた相馬肇と野村利三郎は縄を打ち、各人別個の部屋にて昼夜を問わず厳重に見張られていたそうです。
横倉さんは美濃揖斐の旗本岡田家の武術指南役であったらしく、安藤長門守から岡田隊へ預け替えとなった局長とは交流が生まれたそうです。

豊田家は局長処刑後にいち早く位牌を作って菩提を弔い、局長の娘たまちゃんと同じ年だった豊田家当主の孫・とみ(女の子)は、自身が没するまで局長の月命日にお墓参りをしていたそうです。

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通りにあった「新月堂」さんのいちご大福。
まるまるとしたいちごが入っていて、いちごのほのかな酸味とあんこの甘みが絶妙にマッチしていました。


諸隊士慰霊祭&板橋宿散策、レポートはこれにて終了です。
墓所では局長や副長、隊士の皆さんを偲び、細長い板橋宿の道は昔を思い起こさせる道筋でした。
ここまでお読み下さり、ありがとうございました。
次回は浅草散策をお届け予定です。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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