池と刀

 先日、鉄/腕/D/A/S/Hを見ていたら、栄養豊富な土を取るために池を掻い掘りしていたところ、刀身のみの刀が出てきました。

 その池は東京都新宿区にある津ノ守弁財天という弁天池です。
 手持ちの資料で調べてみたところ安政年間の地図では、この場所は美濃高須藩三万石の上屋敷でした。
 上屋敷の庭園には池があり、かつてはもっと大きかったようです。徳川家康が鷹狩の際に鞭を洗ったことから「策(むち)の井」とも呼ばれ、高さ4メートルほどの滝が落ちていたこともあったそうです。
 新宿に滝なんて意外と思われるかもしれませんが、歩いてみると結構高低差があるので、多少の造成込みで4メートルぐらいの滝が出来てもああそうかなと思います。

 これが後に明治維新で上屋敷が没収され、時代とともに土地の整理が行われ、庭園の池も縮小し、津ノ守弁財天になったのかなと(この辺はちゃんと調べてみないとわかりませんが)。津ノ守の名称は「摂津守」から来ており、近くの坂道も「津の守坂」と呼ばれています。地名は大事。

 ちなみに前述の安政年間の地図では、松平摂津守義比(よしちか)なる人物が高須藩主でした。
 義比は幕末の、いわゆる「高須四兄弟」のニ番目で、松平容保公の兄に当ります。嘉永三(1850)年に高須藩を継いで義比を名乗っており、後に松平茂徳と名を変え尾張藩の藩主となり、一橋慶喜が将軍を継ぐと一橋家を継いで茂栄(もちはる)と改名しました。容保公もこの上屋敷で生まれています。

 刀は直刀で、脇差ぐらいの長さに見えましたね。そして刀装具がありませんでした。
 なぜ池の中に、マッパな刀が沈んでいたのでしょう。
 最初からマッパだったのか。
 池を作った時に奉納されたのか。
 明治維新の際にドサクサに紛れて捨てられてしまったのか。
 刀装具は小さいものなので処分出来たけど、刀身は処分しきれずに打ち捨てられたのか、などなどなど。

 妄想は尽きませんが、番組の終わりで、刀は調査に出しているとのことでしたので、いつの時代の刀か判明すれば経緯がわかる糸口になるかもしれませんし、弁財天建立の際に奉納した記録などがあれば、よりはっきりします。どんな結果になるのか楽しみですね。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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