2015年12月 新宿いまむかし その2:水稲荷神社

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高田馬場から少し歩いていくと、大きな階段のある神社に着きました。
中に入ると、忠臣蔵で有名な堀部安兵衛の碑が…。
ちなみにこの日の新宿徘徊は、まったくのノープランでした。
ノープランは偶然の出会いがあって面白いのですけれども、見るべきものを見逃すことも多々あったりするわけで…。

でっかい写真満載、お読みくださる方は続きへお願いします。


〜2015年12月 新宿いまむかし その2:水稲荷神社〜
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長めの階段を上っていったところに、「堀部安兵衛の碑」なるものが。

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 堀部安兵衛は、「忠臣蔵」の主要メンバーのひとりです。

 まだ安兵衛が赤穂藩に取り立てられる前、同じ剣術道場に通い、叔父と呼んで尊敬していた菅野六郎左衛門という男がいました。菅野は伊予西条藩の藩士で、ある日、同藩の男と言い争いになり、決闘で雌雄を決することになりました。が、菅野はろくな助太刀を集められず、安兵衛が加わることに。決闘当日、高田馬場で決闘をし、安兵衛が活躍して相手を討ち果たしたそうです。講談などでは安兵衛の「18人斬り」が有名だそうですが、実際はどうだったんでしょうね。

 決闘が高田馬場付近で行われたことから、「堀部安兵衛の碑」が馬場近くに立てられ、後にこちらへ移転させてきたそうです。この写真の板碑は安兵衛の功績を讃えたもので、一番上の篆額は公家の西園寺公望(第十二代と十四代の内閣総理大臣。幕末の頃は二十歳前後で、戊辰戦争では官軍の諸方面の総督を歴任した)の筆跡とのこと。

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中に入ってみましょう。立派な石鳥居ですね。

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 水稲荷神社は、「江戸名所図会」によると、かつて高田稲荷明神社と呼ばれ、周辺の戸塚村の産神でもあったことから戸塚稲荷とも呼ばれており、もとは現在の早稲田大学の敷地内にあったそうです。

 創建は、941(天慶四)年に俵藤太(藤原秀郷)が稲荷大神を勧請しました。そして1501(文亀元)年に関東管領上杉氏の一族・扇谷上杉氏の当主である上杉朝良が霊夢を得て再建しました。
 その後、1702(元禄十五)年四月にお告げがあり、榎のうろから泉が湧き出ました。この泉の水で目を洗うと霊験あらたかだったそうで、そこから水稲荷の名がついたとのこと。

 境内には榎のご神木の展示や、水神社、冨塚古墳、江戸市中最大最古の富士塚などがあるようなのですが、見逃してしまいました。

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見逃さなかったものをいくつか。まずは大国社。
大国主命をお祀りしており、元来産業の神様ですが、身体壮健・金銀融通をお願いできるそうです。

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太田道灌駒繋ぎの松。
面影橋付近の山吹の里の話といい、太田道灌がちょこちょこと出てきますね。

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お稲荷さんですから、お狐さまもいました。
なんだか物理的に強そうなお姿です。

 今回のレポートはここまでです。
 次回はこの水稲荷神社の裏手にある甘泉園公園をお送りいたします。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。



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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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