2015年12月 新宿いまむかし その5:合掌の千駄ヶ谷

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新宿をどんどん歩いて徘徊していると、新選組的には聖地となるあの場所へたどり着きました。
以前と随分変わっていて、最初は気づかなかったぐらいです。

でっかい写真満載、お読みくださる方は続きへお願いします。



〜2015年12月 新宿いまむかし その5:合掌の千駄ヶ谷〜

◆新宿追分◆

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新宿には道の分岐点がありました。
日本橋から西へ延びる甲州街道は、ここで青梅街道というちょっと北への道と分かれます。
甲州街道自身もちょっと南へ行くことになります。

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この写真の、上が西になります。
水色が甲州街道、赤い点からまっすぐ上へ延びているのが青梅街道です。

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現在もこのように、賑わう往来でございます。


◆水道碑記◆
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さらに道を東へと進んでいくと、碑がありました。“すいどういしぶみのき”と読むそうです。

江戸には玉川上水という水道が通っていました。
ここからずっと西の多摩川の羽村堰で取水し、この付近までは地上を流れていて、この先は石や木で出来た樋を地下に埋めて通していたそうです。水番所もあり、番人が水量調節や水質管理(ゴミを取り除いたりとか)をしていました。

この碑は玉川上水の由来を記してあり、明治二十八年に建てられてたものですが、実はその十年前にほぼ出来ていたようで、表側には明治十八年の日付があるそうです。上部の篆字は徳川家十八代当主・徳川家達が書いています。

余談ですが、家達は芝東照宮(後にレポートでお出しします)や長野県小諸市の懐古園(小諸城址)の扁額にも揮毫しています。能筆家だったのでしょうか。

◆四谷大木戸跡碑◆
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昭和三十四年に、地下鉄丸ノ内線の工事で出土した玉川上水の石樋を元として作られた石碑とのことです。
この場所には元和二(1616)年に、甲州街道と江戸の出入り口として大木戸が設置されました。
寛政四(1792)年以降、木戸は撤去されてしまいましたが、木戸の名前は残りました。
実際の大木戸はここから80メートルほど東に行った場所で…

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現在も追分同様、交通量が多い場所となっております。


◆千駄ヶ谷◆
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道を南下し、通り沿いに歩いていたら…
何だかここ、見覚えがあるようなないような…?
左側に見える看板に目を落とすと、「伝・沖田総司逝去の地」と書かれているではありませんか。

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数年前に訪れた時とはまるで様相が違っていたので気づきませんでした。
こんなに草ぼうぼうじゃなくて、公園として整備されていて、遊具もあったはず…。
かつては案内板もなかったです。総司が亡くなった場所には諸説あるので「伝」となっているんですね。

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近くには、弔うかのように真っ赤な紅葉が。合掌。


◆観音坂◆
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次の目的地へ、新宿御苑沿いに歩いていくと…

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途中に観音坂という坂がありました。
坂の下の方に聖輪寺というお寺さんがあり、そこの御本尊が如意輪観音だったことから名づけられたそうです。
この日は聖輪寺さんには行かなかったのですが、実は千年以上の歴史があるお寺さんで、江戸の寺院の中では浅草寺と並ぶ古刹だとか。今度ちゃんと参拝に行きたいと思います。


 今回のレポートはここまでです。
 次回は観音坂の上にある、鳩森八幡神社をお届けいたします。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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