2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その1・伏見前編

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去年の3月、友人と京都へ旅行することにしていました。
遠くに住んでいる彼女と、数年ぶりに地理的にちょうど真ん中ぐらいの京都で宿泊デート。
行きたいところも話したいことも山ほどあって、行く場所のマッピングしたりして準備していました。

ところが。
決行数日前に友人がインフルエンザに罹患。
なぜ、どうしてこのタイミング。・゚・(ノД`)・゚・。
でも、仕方ないっちゃあ仕方ありません。
悩んだ末に、私一人で京都へ行くことにしました。
仕事も休みとっちゃったし、家族にも留守を頼んでしまったので。

じゃあ、ということで、ひとりで三都縦断してきました。
今回は初日の朝、いきなりお狐さまに助けられるという^^;
お読みくださる方は続きへお願いします。



〜2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その1・伏見前編〜

◆初めての夜行バス◆

 今回は、行きは夜行バスを使うことにしていました。
 一度体験してみたかったのです、夜行バス。
 行きはひとりなので、いいチャンスでした。

 バスの中はそれなりに人が居ましたが、私の隣は誰もいませんでした。
 寝心地は悪かったのであまり眠れませんでしたけど、高くないバスだったのでこんなものかなと。
 いい経験しました。


◆必ず狐に会うコヤマ◆
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6時ちょっと前に、京都の十条へ着きました。
しかし…周りに何もない…マジで何もない。
とりあえず30分も歩けば着くはずの、伏見稲荷を目指して歩いていきました。

暫く歩いていくと、後ろから車に乗ったおじさんが声をかけてきました。
「この朝っぱら、大荷物でどこ行くの? え? 伏見稲荷? 方向違うよ」

はい、ここで長い付き合いの方は思い出してください。
短い方は覚えておいてください。
私が 極 度 の 方 向 音 痴 だということを…

そのおじさんは親切にも、私を車に乗せて伏見稲荷まで送っていってくれました。
聞けばおじさんはタクシーの運転手で、夜勤明けで家に戻るところだったそうです。
なんでも私のようなふらついた迷子を何人も乗せてあげたことがあるらしく(苦笑)
多分私はこの時、国道24号線を北上していたんですよね…伏見稲荷はだいたい東南東です。

おじさんにお礼のお金を渡そうとしましたが、頑として受け取ってもらえず…。
結局降りる時に無理やり置いてきましたけど。

このおじさん、絶対に稲荷のお狐さまだったと思います。
伏見稲荷に来ると必ず起こる不思議な出来事があるんです。
過去には稲荷山(伏見のお山)で案内をしてくれるおばちゃんがいたり、千本鳥居をディープに歩くルートへ入り込んでしまったり。
私は伏見での珍現象を、お狐さまのお導きだと信じています。
ちなみにこのおじさんの名字、稲荷にめっちゃ関係ある名字でした。


◆伏見稲荷 前編◆
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ありがたくも無事に伏見稲荷へ着いたので、早速お参りです。
2011年に御遷座1300年を迎えたので、塗替えや補修が終わってきれいになりました。
和銅四(711)年に秦氏が稲荷山上に創始したのがはじまりで、御祭神は宇迦之御魂大神。五穀豊穣、家業繁盛のご利益があるとして信仰されてきました。現在は商売繁盛の神として信仰を集め、初詣の人では日本屈指、二月の初午祭なども賑わいを見せています。


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お社が三つあります。
右:霊魂舎 慶應三年の建立で、伏見稲荷に縁の深い物故者が祀られています。
中央:藤尾社 江戸初期の建立で、『日本書紀』を編纂した舎人親王が祀られています。
左:熊野社 元禄七(1649)年の建立で、平安時代末期に流行した熊野行幸の際に上皇らが稲荷奉拝を行い、立ち寄って拝礼したお社だそうです。何度か移転をし、この場所に落ち着きました。

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楼門。
豊臣秀吉が母の病気平癒を祈願し、その御礼の奉加米(奉納の米)建てられたもの。
天正十七(1589)年の建築で、伏見稲荷では本殿に続き古い建物だそうです。
こんな大きな楼門を建ててしまうとは、秀吉の財力恐るべし。

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外拝殿。
元は四間四方であったものが、天保十一(1840)年に祭礼のお神輿を五基並べるために、間口五間・奥行き三間に改められ、今の姿になりました。
軒下の吊り灯籠は黄道十二宮を表しているので、ご自分の星座がどこにあるのか見てみるのも楽しいでしょう。

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権殿。
元は本殿の北に位置し、本殿が建て替えられる際には仮殿とされ、こちらのお宮へ一時的に遷座されていたようです。
現在の建物は寛永十二(1635)年に建てられましたが、1499年の記録には権殿の存在が記されています。

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では、先へ進みましょう。

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ここにもお社が並んでいます。ひとつずつご紹介します。

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玉山稲荷社。
東山天皇(在位1687年〜1709年)が宮中で奉拝していた稲荷社を、お仕えしていた松尾月詠神社の社家がお預かりし、私邸内に遷座した後に、明治七(1874)年ここへ移転してきました。軒下の蟇股にあるお花が可愛らしいです。

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右から、
両宮社:天照大御神と豊受大御神を祀る。元禄七(1694)年の建立。
五社相殿:(八幡宮社・日吉社・若王子社・猛雄社・蛭子社)。境内に点在していた五社を、元禄七(1694)年にまとめてここへ遷座した。
荷田社:伏見稲荷の旧社家の祖神・荷田氏を祀る。元禄七(1694)年の再興。
長者社:上記と同じく伏見稲荷の旧社家の祖神・秦氏を祀る。江戸時代初期の建立。
両宮社のみ切妻屋根で、あとの三つは見世棚造という流造のような前に張り出した屋根を持っています。神社建築の古い形らしいです。こういうのが並んでいるといつまでも眺めてしまいます。

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奥宮。
本殿と同じく流造(屋根が前に張り出している造り)となっており、稲荷大神を祀っています。
奥宮の名前の通り、別格のお社です。
長禄三(1459)年の記録にはすでにあり、1499年の記録では西側(写真の左側)に八間の回廊があったそうです。
現在の建物は天正年間の建立で、元禄七(1694)年に修復されています。

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白狐社。
稲荷大神の眷属を祀る唯一のお社だそうです。
ご祭神は命婦専女神(みょうぶとうめのかみ)で、命婦とは(伏見稲荷においては)お狐さまのことです。
元禄七(1694)年までは先程ご紹介した玉山稲荷社あたりにあったとのこと。ということは、今より2段ぐらい下の土地にあったのかなと。

 やたらと元禄七(1694)年が出てきますが、これは徳川五代将軍綱吉の時代で、母である桂昌院が信心深かったことから、あちこちの寺社仏閣をどっかんどっかん造営&修復している関係だと思います。江戸でも相当やってます。このあたりのことは後に水曜日のブログ記事で書きますね。


 今回のレポートはここまでです。
 次回は伏見稲荷の代名詞、千本鳥居を通っていきます。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。


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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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