徳川さんちの十五代:初代・家康その1

 今日から週イチで、徳川十五代将軍についてひとりずつ取り上げていく連載を始めさせていただきます。
 初回はもちろんこの人、家康です。
 私は江戸時代は好きですが、家康は嫌いなので辛口でいきます(素)
 今回は家康が生まれてから本能寺の変で信長を失うまでをアップいたします←長すぎたので切りました

 なお、文中の名前は混乱を避けるため、特別な場合を除き、わかり易い名前で統一しています。
 プロフィールの身長は、愛知県岡崎市にある徳川(松平)家の菩提寺・大樹寺に残る等身大の位牌や、東京と芝の増上寺を改葬・発掘調査した際の記録を元にしています。
 文中の年齢は満年齢を基準としています。
 だいたい薄目で読んでいただけますようお願いいたしますm(_ _)m

◆簡易プロフィール◆
生年:1542年(天文十一年二月二十六日)
没年:1616年(元和二年四月十七日)
享年:73歳
身長:159.0cm
生涯:今川と織田に服従、武田と対峙、秀吉とは仲が良かったり悪かったり。ついには天下を手にする。健康ヲタク。


 では、もうちょっと詳しく知りたい方は続きへお願いします。



<生い立ちと、今川との繋がり>
 家康は1542(天文十一)年、三河国(現在の愛知県)岡崎城主の松平広忠の長男として生まれました。幼名は竹千代です。松竹梅の竹に千代、めでたい名前ですね。
 父親は今川に属しておりましたが、家康は6歳頃から人質として今川と敵対する織田に捕らえられていたようです。私が昔読んだ歴史漫画では、今川へ人質として赴く途中に織田にかっさらわれていましたが、真偽の程はどうなんでしょう? で、8歳頃、織田信長の兄と交換で今川に戻りました。信長のお兄ちゃんと交換って、属国の子息としてはけっこうスゴイ価値のような気がするのですが…^^;
 1555(天文二十四)年に13歳で元服後、今川義元の妹の子(従姉妹かも?)瀬名姫を娶り、今川との血縁関係を深めていきます。

<織田と同盟>
 ところが、今川の敵・信長は破竹の勢いを見せ始めます。
 美濃のマムシと恐れられた斎藤道三の娘・濃姫を娶り家督を継ぐと、時の将軍足利義輝に謁見し、翌年には桶狭間の戦いで今川を破ってしまいました。
 そんな状況を見て、家康は今川から信長に乗り換えます。桶狭間の戦いの2年後の1562(永禄五)年、同盟(清洲同盟)を結び、1567(永禄十)年には信長の娘が家康の長男・信康に嫁ぎました。
 家康は領内の一向一揆を鎮め、今川の領地をどんどん侵攻、居城を遠江浜松へ移しました。

<VS信玄>
 今川の領地をイケイケドンドンで抑えた家康の、次なる敵は武田信玄です。
 信玄はこの頃、甲斐や信濃(現在の山梨・長野・静岡の一部あたり)など本州のど真ん中を陣取っていました。このあたりは東西・日本海と太平洋を行き来する交通の要衝ですので、それを握っていた信玄はかなりの物流や情報網を持っていたと考えられます。さすが戦国大名最強のひとりと数えられるだけありますね。
 1572(元亀三)年、家康は三度に渡って信玄に戦いを挑みます。
 しかし、一言坂の戦いでは威力偵察に失敗し、二俣城の戦いでは浜松北方の要衝を失い、三方ヶ原の戦いでは三河に侵攻され、逃げる途中に漏らすという大失態。しかも漏らしてすんごい顔になった所を絵に描かせたとかは有名なエピソードで絵も残っていますけど、どんなプレイなんでしょう( ¨)

<信玄・今川・信長との決別>
 信玄にコテンパンにやられてしまった家康ですが、上記三連戦の翌年、信玄は亡くなってしまいます。
 そこで家康は信長とともに信玄の後継ぎである武田勝頼を攻め、長篠の戦いで勝利。1582(天正十)年に武田は滅びました。去年の大河での勝頼様、死に際も見事でしたね。

 1579(天正七)年には己の妻で今川の血筋である瀬名姫(築山殿)と長男の信康を処刑しました。
 この処刑に関しては諸説あり、信康に嫁いだ織田の徳姫が姑である瀬名姫と不仲だったとか、信康と徳姫が不仲だったとか、瀬名姫が武田勝頼と内通していてそれを信長にチクられたとか、家康が信康を嫌っていたとかいろいろ考察されているようです。
 何はともあれ、これで家康は、自家にあった今川の血を排除しました。もうひとり、瀬名姫との間に亀姫という女子がいたのですが、こちらは武田勝頼から離反し徳川に仕えた奥平氏に嫁いでいます。

 こうして中部地方の覇権を手に入れた家康ですが、勝頼が亡くなってわずか三ヶ月後、大事件が起こります。
 本能寺の変にて、織田信長が討たれてしまったのです。
 この時家康、すでに40歳。信長と同盟していた家康は、滞在先の大坂から必死で地元へ逃げます。これが世に名高い「神君伊賀越え」です。逃げただけですけど(笑) 途中には峠などもあり、道は険しかったみたいですね(いちおうフォロー)

 こうして眺めて見ると、家康って戦国末期の武将だったんだなーと思います。
 しかもメンツが織田に武田(この後まだいっぱい出てきますが)と^^; さらに戦国大名たちが入れ代わり立ち代わりな時代にいるんですよね。いやーなかなかなものです好きじゃないけど。
 今川がスゴかったというのは、今年の大河を見て改めて認識させられました。もっと戦国以前を勉強しないといけません。日本史は奥深い…。

 次回は信長の死後からをお届けいたします。
 その次は家康のシュミや子どもたちについてお送りする予定となっています。
 どうしても家康はネタが多いので更新回数も多めになりますね。
 ここまでお読みくださりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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