徳川さんちの十五代:初代・家康その3

 今回は家康の行った政策の中で補足したいところや、家康の趣味などについて書いていきたいと思います。
 さらに徳川といえばアノ話題も…。
 お読みくださる方は続きへお願いします。



<手広い外国との外交>
 家康の時代はスペイン・オランダ・ポルトガル・明・朝鮮はもとより、カンボジア・ベトナム・フィリピンなどと貿易をし、マカオやタイなどへも朱印状を出して渡航許可を与えています。イギリス国王の新書も受け取っているようです。つまりこの頃はヨーロッパ・東南アジアと広範囲に渡って交易を行っていたわけです。世界史的にも大航海時代ですから、遠い国とも交易が盛んになる時代ですね。

 1600(慶長五)年、関ヶ原の戦いと同年の一月には、オランダのリーフデ号が漂着し、ウィリアム・アダムズ(三浦按針)やヤン・ヨーステン(東京の八重洲の語源となったらしい)が乗っていました。彼らは後に江戸幕府の外交顧問となったり、航海術や水先案内、数学、天文学などをもたらしたりもしたので、技術革新的な時代でもあったようですね。

 江戸時代の外交というと鎖国が真っ先に思い浮かびますが、近年はそのイメージが薄まってきているようです。私も鎖国ではなく限定外交だと思っています。


<趣味はスポーツ>
 川泳ぎや鷹狩がご趣味だったようです。
 川泳ぎは、亡くなる6年の1610(慶長十五)年に、駿府の瀬名川で泳いだ記録が残っています。70歳近くで川泳ぎか…と思いましたが、お義母さんが同じような年齢でスポーツクラブの水泳を始めたのを思い返すと、まあそんなもんかと思わないでもないですね。
 鷹狩は家康の代名詞のようなイメージがありますね(笑) 馬に乗るのはバランス感覚が必要、つまり体幹が鍛えられていないといけないですし、獲物を探すために周囲への目配りをしたり、楽しすぎて体力を使い果たさないようにしたり、部下がついてこられているか確認したりと、トップとしてのいろーんな要素が含まれていると思います。また、スポーツの範疇にとどまらず、民情視察・領国把握などの目的もあったそうですので、家康っぽいですねえ。


<からかわれるほどの健康ヲタク>
 漢方に詳しく、『和剤局方』(中国の宋の時代に発刊された処方集)や『本草綱目』(明時代に書かれた中国の代表的なの薬学書で、薬草薬石その他もろもろを薬効という視点から分析した)を所有していました。
 具合が悪い大名がいる聞くと薬を調合して渡していたことから、「御医師家康」とあだ名されていたとか。この時代の医師は身分が低かったので、一大名から地位を上げてきた家康を蔑む意味もあったそうです。

 また、自分で処方し飲んでいた薬には海狗腎というものも入っていました。
 何かというと、オットセイのオスのアレです(*ノェノ)キャー オットセイのオスは一匹で30頭ものメスを従えるハーレム野郎なので、それにあやかってということらしい…。子どもが成長するのが難しい時代でしたし、信長や秀吉、他の戦国大名らの跡取り問題を目の当たりにしていたでしょうから、跡継ぎ候補をたくさん作っておきたいと思っていたのでしょうか。
 乾燥させて粉にして、他の素材と混ぜて飲んでいたみたいですね。ちなみに元のカタチはまんまアレだそうです。
 ソレを献上していた松前藩は、秀吉の時代から蝦夷地の統治を許され、家康も同じ権利を認めていました。鷹狩用の鷹や砂金などの資源にも恵まれていたようですが、オットセイのオスのアレも…と思うと…えーと…。

 気を取り直して、ちょっと言いたいことがあります。
 スポーツ大好き、お薬大好きとお伝えしている家康ですが、それならわりとシュッとした感じで年を取っていくんじゃないかと思うのです。しかしながら晩年の肖像画ではずんぐりむっくりな様子ですよね。実際に中年を過ぎてから太り始めて、下腹が出すぎて自分で帯が締められなかったという話も残っています。運動好き・健康ヲタクどこ行った(;一_一)


<ウワサの徳川埋蔵金>
 この時代、スペインとの交流で金銀産出の技術が飛躍的に高まり、佐渡や石見、伊豆などからの金銀の産出が増大しました。秀吉は鉱山を大名に預けて運上金を取っていたのに対し、家康は鉱山を直轄にして直接利益を吸い上げていたようです。

 いったいどのくらいあったのでしょう。
 伏見城から、隠居の地・駿府城へ金銀を運ばせているのですが、イエズス会の宣教師が伏見城にあった金銀について書き残しています。それによると、伏見城の一室が黄金部屋になっており、あまりの重さに梁が折れ、床が陥没するほどだったそうです。
 それと、家康が亡くなった後、遺産分与のために駿府城や久能山の宝物庫に蓄えられていた金銀などを調査した際、金17トン分=現在の価値で約280億円があったとか。

 もしこういったものの一部が埋蔵金となっていたらロマンがあるかもしれませんが、遺産分与をしたり、孫の家光くんが大好きなおじいちゃんのお墓を日光にズドドドーンと建てたり、五代目の綱吉くんがママの言うことを聞きまくって寺社をめっちゃ作ったり直したり、かと思えば富士山が大噴火して復興事業を急がねばならなかったりしていたので、埋蔵金といえるほどのものがあったかはビミョーですね。もしあるとしたら金銀産出を担当していた大久保長安のほうが…不正蓄財もあったみたいだし…ゴニョゴニョ。


 ここまでお読み下さりありがとうございました。
 次回は家康の子どもたちについてお送りいたします。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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