2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その5・興正寺と西本願寺前編

※本日より日曜日まで留守に致します。
お返事やご訪問等は戻り次第行わせていただきます。ご了承ください。



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 興正寺と西本願寺の前編です。上記写真は西本願寺です。

 興正寺は西本願寺の南側に位置するお寺さんで、慶応元(1865)年の三月に新選組が三百五十両の借用を要請して、うち二百両を用立てたというお寺さんの関係者の証言が残っています。時期的には新選組が西本願寺の北集会所に移転する頃です。
 また、数年前までは宿坊を一般に開放しており(現在は停止中)、宿泊したことがあります。「屯所の近くでお泊り…」と感慨にふけりながらスースー寝てました(笑)
 なお、現在は北集会所があったと思われる場所から道路一本を挟んで北側にある、西本願寺の聞法会館に宿泊できるようなので、次はそちらへお世話になりたいと思います。朝のおつとめも拝見できるかと。


 でっかい写真満載、お読みくださる方は続きへお願いします。



〜2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その5・興正寺と西本願寺前編〜

◆興正寺◆

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三門。
 興正寺は親鸞が創建とも、親鸞の住坊を移転してきて寺院としたとも伝えられています。
 その後、場所を洛東に移して大伽藍を誇り、隆盛を極めるも、応仁の乱で焼失。山科にて再興しましたが、戦火で再び喪失。本願寺の台頭もあり現地に再移転して、現在は本願寺派から独立しているそうです。

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御影堂。
 明治四十五(1912)年の再建。親鸞聖人の御真影が安置されています。
 かつての興正寺は、日光東照宮や知恩院三門と並ぶ壮大な伽藍を展開していたそうですが、明治の火災でほとんど燃えてしまったそうです。木造建築が中心だった時代の火災はホント恐ろしいです。

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御影堂の廊下から。
左端の白い建物は経蔵です。嘉永元(1848)年の建立だそうですので、明治の火災ではかろうじて残ったものでしょうか。

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御影堂の廊下から阿弥陀堂。
 大正四(1915)年の再建。阿弥陀如来像、七高層、聖徳太子の像が安置されています。
 七高僧とは、親鸞聖人が選定したインド・中国・日本の七名の高僧のこと。親鸞聖人の師・法然も入っています。
 この廊下のストレートさをお伝えしたく(๑•̀ㅁ•́๑)✧


◆西本願寺 前編◆
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さて、お西さん。御影堂門からお邪魔します。

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御影堂。
 寛永十三(1636)年再建。親鸞聖人の御真影が安置されています。
 横に広くてうまく写真に収まらないのですが、南北62メートルもあります。ちなみに世界最大級の木造建築です。
 441枚の畳が敷かれた外陣では、1200人が一度に参拝可能とのこと。

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手前の建物が御影堂、奥が阿弥陀堂。阿弥陀堂像が安置されています。
 宝暦十(1760)年の再建で、こちらも南北45メートルと長大です。
 285枚の畳が敷かれ、800名以上が一度に参拝可能です。

 1200名に800名…なんという収容能力。
 プラス新選組が居住した北集会所にも200名ぐらいは入れたようなので、その大きさを感じずにいられませんね。

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御影堂の廊下。
 もしかしたらここを「今度来た新選組ってのは…」と話しながらお坊さんたちが通っていったかもしれませんし、新選組の隊士たちも「へーここがお西さんかー」などと言いながら参拝したかも…(妄想)

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立派な擬宝珠のついた階段。

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御影堂から阿弥陀堂への廊下。
 これだけのストレートだったら、雨の日に「ここで剣術の練習させてくれよ」「駄目に決まってるじゃないですか!」って話があってもよくないですか?


 今回のレポートはここまでです。
 次回も西本願寺、夢小説の拍手文で使わせていただいた七宝物などをご紹介します。太鼓楼もあります〜。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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