徳川さんちの十五代:ニ代・秀忠その3

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今回は二代目の子どもたち四男五女のうち、四名を調査してみたいと思います。
有名なところでは千姫、そして初代会津藩主保科正之(次回ご紹介となります)ですね(^o^)
写真は小石川伝通院にある千姫のお墓です。立派なお墓でした。

ではお読みくださる方は続きへお願いします。



◆長女・千姫◆
 正室・お江との子。
 つまり徳川家康の孫で、織田信長の妹の孫で、豊臣家の嫁という(;^ω^)
 そして大変な不幸体質です。

 まず7歳で豊臣秀頼に嫁ぎ、19歳で大坂夏の陣にて、落城する大坂城から脱出します。

 翌年、本多忠勝の孫・本多忠刻と再婚するのですが、輿入れの行列を石見津和野藩主・坂崎直盛に襲われしまいます。
 直盛は千姫の大坂城脱出で活躍した人物です。その直盛が千姫の行列を襲った理由は、家康から千姫を貰う約束をしていたのに本多家に取られたのを恨みに思ったとか、千姫再婚の仲介を依頼されて京の公家との間を奔走したのに無視されたとか、いろいろ言われています。
 最終的に直盛は、幕府が直盛の家臣に「直盛を切腹させたら一族から坂崎家を相続させる人物を出していいよ」と言われて切腹させられました。そして坂崎家は主君の首を差し出したにも関わらず、なんやかんやで改易となりました。幕府酷い(-_-;)

 千姫は忠刻の姫路移封で姫路城へ移りました。
 今でも千姫の化粧櫓が残っており、中には千姫の生活を人形で再現してあります。
 忠刻との間に一男一女をもうけ、幸せな日々がやってくるはず だったのですが…。
 一男が三歳で亡くなったのを皮切りに、夫・姑・母が次々と亡くなっていき、本多家を出ることになってしまいました。

 その後は出家し、一女の勝姫や、自身の弟・家光の側室であるお夏、お夏から生まれた家光三男の綱重などと、江戸城の北東にある竹橋御殿で暮らしました。
 墓所は東京小石川の伝通院、茨城県常総市の天樹院弘経寺、京都知恩院。それぞれ分骨されているそうです。



◆次女・珠姫◆
 正室・お江との子。加賀金沢藩主・前田利常の妻。
 前田利家の跡を継いだ利長に徳川家から謀反の疑いがかけられ、潔白の証明のために利長の母を徳川家の人質にし、徳川家からは珠姫を前田家へ嫁すことになりました。

 わずか3歳とも8歳とも言われる年頃で前田家に嫁いだ珠姫ですが、夫婦仲はよく、三男五女をもうけました。
 しかし、珠姫の乳母が、幕府の情報が外様大名である前田家に入るのを危惧します。そして珠姫が五女の夏姫を出産後、産後の肥立ちが思わしくないのを利用し、利常から引き離してしまいました。

 利常の御成りがないのを気に病んだ珠姫は衰弱が激しくなり、24歳で没します。
 今際の際に珠姫の元に駆けつけた利常は、珠姫の遺言から事情を悟り、珠姫の乳母を蛇責めにして処刑したとか…((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル

 前田家は世子だけでなく兄弟の間でも藩主を継いでいき、珠姫ひいては秀忠の血筋を幕末まで残しました。


◆三女・勝姫◆
 正室・お江との子。津山松平家二代藩主・忠直の妻。
 11歳で忠直に嫁ぎ、一男二女をもうけます。が、勝姫が18歳の時に忠直が乱心して勝姫を斬り殺そうとしました。忠直は豊後での隠居を命じられ、勝姫と三人の子は江戸の高田御殿(高田馬場あたりですかね、ちょっと調べがつかなかったです)に移り住みました。
 孫の嫁ぎ先の後継者問題に首を突っ込んで自殺者を出すなど、気の強いところがあったようです。


◆長男・長丸◆
 母の名は伝わっていません。2歳で亡くなっています。死因は一説によるとお灸とのこと。
 お灸にもいろいろあって、気を補う作用もあったようです。
 もしかしたら長丸くんは生まれつき病弱だったのかもしれません。気を補うために軽くお灸をしたところ、悪化してしまったとも考えられるかと。


 今回はここまでです。
 次回は四女・初姫以下について書かせていただきます。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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