徳川さんちの十五代:三代・家光 その2

 今回調べていたら、家光本人がやたらと病にかかっていることがわかりました。
 あんまりそういうイメージなかったんですけど、しょっちゅう何かに罹ってます。
 お読みくださる方は続きへお願いします。



 前回も書いたのですが、生まれた時から病弱だったそうです。
 あまりしゃべることしなかったことから、吃音障害だった可能性があるとも言われています。

 ただ、吃音については精神的なものとの見方もあります。
 将軍の後継ぎとして期待された長男が生後10ヶ月で亡くなり、2歳下で生まれた家光。
 まずはそのプレッシャーは強かったでしょうが、生まれつき体が弱かった。
 そこでさらに2歳下で生まれ、元気ハツラツで見目麗しい弟・忠長に父母を始めとする愛情や期待が持って行かれ、自分の存在意義を見失う過程で言語障害が起きても不思議ではないでしょう。

 幼い頃の詳細な病歴は不明ですが、3歳頃に大病を患い、その時に家康が処方した薬によって命が助かったらしいです。
 家光のおじいちゃん大好きというか、崇敬はここから来ているっぽいですね。

 成人後の病歴は細かに記録されています。
 25歳で脚気。
 26歳で痘瘡(天然痘)、虫気(腹痛を伴う病気の総称)。
 29歳で腫れ物(フルンケル。おでき)。
 30歳でうつ病にかかり、中奥に2年ほど引きこもる。
 34歳の時にもうつ病。
 43歳でおこり病(マラリア三日熱)と眼病。
 45歳で再び眼病。
 46歳で腹痛と咳。

 そして49歳で亡くなるのですが、以下のような流れです。
 正月六日頃から気分が悪く、頭痛。
 二月には頭痛がひどくなり、歩行障害が起きる。
 四月はじめには歩行が多少よくなり、側近に歩く姿を見せた。
 四月十九日、献上品の伊万里焼の茶碗を鑑賞中に急に気分が悪くなり、翌二十日逝去。
 脳卒中だったのではないかとも考えられています。

 記録されているだけでもこれほどの病歴があるのですから、日常的にも小さな症状はたくさんあったのではないかと。
 よくこの体で3回も上洛出来ました。家光の意地だったのでしょうか。

 また、これだけ臥せていながらも徳川政権の基盤を築けたということは、優秀な人材がバックアップしていたということ。
 もともと初代・家康が地元で政治の分担を行っていたことから、段階的に奉行職などが増えて分業制にはなってきていたのですが、家光の時代である程度固まったように思えます。


 次回はもう少し政治的な部分と、家光を支えた大名たちについて述べていきたいと思います。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。


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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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