2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その15・大坂城その1

santo2016-1-c - 73
天保山から電車で約30分、ついにやってきました大坂城。
あれに見えるは天守じゃないか。
まあのんびり行けばいいと、気軽に歩きはじめました。

…そう、この時私は知らなかった。
大坂城の広大さを。
天保山から電車に乗っているぐらいの時間、大手門につくまで歩かざるを得なかったことを。


 でっかい写真満載、お読みくださる方は続きへお願いします(笑)



〜2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その15・大坂城その1〜

◆歩けども歩けども・南外堀◆

santo2016-1-c - 74
裏手に入り口(玉造口)もあったのですが、やはり最初ですから大手門から入りたいと思い、南側を西へずーっと歩いていきました。

 南外堀は1628(寛永五)年、徳川家光が将軍で秀忠が大御所だった時代に、豊臣時代の大坂城の堀跡を利用して築造されました。鍋島家(肥前佐賀藩)・前田家(加賀金沢藩)・池田家(因幡鳥取藩)など57家が天下普請として動員され、石垣の総延長は2km、最大幅は75mという、まさしくザ・お堀といった景観です。これでは泳いだり綱をかけて渡ったりも難しいでしょう。いやー家康もよくこれ埋めたなと。

 石垣の上には7つの櫓が並んでおりましたが、幕末から現在までの様々な戦で焼けてしまい、現在は写真右側の一番櫓と、後ほどご紹介する六番櫓のみが残っています。ただし、いずれも戦災や自然災害で崩落寸前までいったことがあるので、だいぶメンテナンスされているとのことです。他にも立派な櫓が出てきますのでお楽しみに。

santo2016-1-c - 75
大坂城は石垣の残り様がとても素晴らしいです。
切込み接ぎではなく打込み接ぎが延々と続きます。

santo2016-1-c - 76
石垣が黒ずんでいるところは、戊辰戦争や大阪大空襲で焼けた跡だそうです。
ホントにね、戦争駄目、ゼッタイ。

 あ、写真左の櫓が六番櫓です。
 写真集にある古写真にて、台風によるダメージでボロボロな状態の櫓を見たのですが、よく立ってるなと思うほど酷いです。そしてよくこの状態まで復旧したなとも思います。

◆大手門◆
santo2016-1-c - 77
はい、写真中央やや左の、黒っぽいところが、ようやく大手門です。
横から見ると、土橋のストレートさがよくわかりますね〜。
いやコレ土橋ではなく石垣橋ですかね。

santo2016-1-c - 79
正面からみるとこう。
すっごい長いです。キョリ測で測ったら約90m。
攻めてる間に疲れちゃいそう(;^ω^)


 今回のレポートはここまでです。
 次回は大手門を入った枡形虎口をたっぷりと(管理人のシュミで)お届けいたします。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

コメント

非公開コメント

web拍手
コヤマライヴジム
ブクログ
カテゴリ
プロフィール

小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

QRコード
QR
リンク
検索フォーム