2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その18・大坂城その5

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天守に少しずつ近づいてまいりました。
こんなお城があって、大坂いいなあと思いながら歩いていました。

でっかい写真満載、お読みくださる方は続きへお願いします。


〜2016年3月 京都・大阪・奈良三都縦断の旅 その18・大坂城その5〜

◆西の丸庭園◆

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大手門の北側には西の丸がありました。
豊臣の時代には秀吉の弟である秀長の屋敷があり、秀吉が亡くなった後は北政所(ねね様)が住んだそうです。
その後、関が原の合戦までは徳川家康が住居とし、徳川による大坂城再築では幕府の蔵がたくさん立ち並びました。
それらの蔵は、鍵の数から「いろは四十七蔵」などと呼ばれたこともあったそうです。


◆唯一の現存 焔硝蔵◆
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現在はだだっ広い西の丸ですが、焔硝蔵がぽつんと残っています。
創建は1685(貞享二)年、幕府の火薬を収める蔵として建てられました。
高さ約5.4メートル、面積は約171.9平方メートルあるそうです。見た目けっこうデカイし、ごつい。

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蔵の内部。
天井・壁・床のすべてを石造りとしています。
縦約15.8メートル、横約2.7メートル、石壁の厚さ約2.4メートルだそうです。分厚い。
火薬の保管庫ですから、バクハツしたら大変ですからね〜。
万一バクハツしても庫内だけで食い止められないとですよね〜。
まあ食い止めるのは無理だと思うし、実際江戸時代にあちこちで焔硝蔵とか火薬庫とかドッカンドッカンいってます。

これまでの焔硝蔵は、引火防止のため、半地下に作られていました。
しかし半地下式の土蔵は湿度が高く、火薬は湿気やすいし、蔵自体の部材も腐りやすかったため、この蔵は総石造りとされました。中に入ってみましたが、ひんやり。春先だったのでふつーに寒かっただけかもしれませんけど(;^ω^)

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扉も鉄製の頑丈なモノ。
ちなみに焔硝蔵は江戸城や二条城、各地の大名の城にもありましたが、江戸時代のまま現存しているのはこの大坂城の焔硝蔵だけだそうです。この大坂城にも数か所に焔硝蔵が作られましたが、落雷で大爆発を引き起こしたり、明治維新後のドサクサで失われてしまったりしています。もったいない(´・ω・`)

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詳細は不明ですが、高麗門がありました。
門の両脇の石垣、マッチョですね〜。
石垣の上の四角い台座は何が立っていたのでしょう。灯籠とかかな…。


◆使われなかった残念石◆
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城内で使われるはずだった石の残骸、残念石。なんてネーミングなんでしょう。
石を割るためには、まず矢穴と呼ばれる溝を一直線に掘ります。
その溝に矢というくさび形の工具を差し込んで、玄翁(ハンマー)で上から叩くと、パッカリ割れます。
この写真の石は、矢穴が掘られて放置されている状態ですね。
石にもいろいろ種類があって、それぞれ見た目や頑丈さ、割れ方に特徴があります。
用途に合わせた石が選ばれていたのでしょう。


◆南仕切門跡◆
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西の丸は、この南仕切門によって西と南に区切られていました。どんだけでかいんだ西の丸(;^ω^)
また、この門の西側の部分(たぶん写真の石垣だと思うのですが)の上には太鼓櫓があり、時を知らせたり、城内の勤務交代や非常時の合図に太鼓を鳴らしていたそうです。明治維新の大火によって、太鼓櫓も門も焼失してしまいました。


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今回のレポートはここまでです。
次回はこの空堀の向こうに見える土橋を渡って、天守へと続く道を参ります。
ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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