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徳川さんちの十五代:八代・吉宗 その10

 今回は、吉宗が将軍になってからの政治について見ていきます。
 本来は第2回で取り上げようと思っていたのですが、いろいろと遠回りしてしまいました(;^ω^)
 「こういう細かいことがあったから、吉宗の時代の政治はこうだったんだな」と思っていただければ…。
 そしてまとめきれず、今回は経済関係のお話だけとなりました。
 お読みくださる方は続きへお願いします。


◆経済関係◆
 吉宗が将軍に就任した時、幕府の財政は赤字に転落していました。
 綱吉・家宣・吉宗と、大きな将軍交代のたびに幕臣が増え、給与としての米がどんどん出ていきました。
 元禄のバブルがはじけ、天災も続きました。
 年貢の収入はそれに追いつかず、備蓄していた米も使い果たし、普通に政務を行うのも難しい状態に。
 さて、吉宗の改善策とは。

 
<貨幣経済の安定を・享保金銀・元文金銀>
 通過統一のために享保金銀を鋳造しましたが、広く流通させるには品質が良すぎて数が足りず、米の値段が3分の1になるなど物価が下落。経済に影響を与えてしまいました。
 後にもう少し質を落とした元文金銀を鋳造し流通量を確保、今度は米の値段も諸物価も上向きになりました。なんとこの元文金銀は文政年間まで約80年も流通したのでした。それだけ信頼性があったということでしょうか。


<物価抑制・株仲間>
 吉宗は商業の統制をはかるため、また、物資の適切な流通と物価の引き下げのために、株仲間の公認を行いました。
 上納金を納めた団体に、一定の品物の販売権の独占などの特権を認めるものです。
 江戸の両替商を皮切りに、真綿・米・ろうそくなど生活必需品22品目の株仲間が結成され、生活必需品の高騰を抑えるよう努力がなされました。
 米に関しては特に気を配っていたようで、大坂の堂島米仲買にも仲間の結成が命じられ、米価調節を図っていたフシがあります。


<強力な幕府補助・上米の制>
 当時の貨幣にも等しい米。幕府に米が足りないということで、一万石以上の大名に、一万石ごとに米百石の上納を命じました。その代わり、参勤交代の期間を半年に短縮しますという交換条件つきです。
 これによって御家人・旗本への給米の50%を賄うことが出来ました。すごいパーセンテージです(;^ω^)
 が、吉宗は基本的には年貢による収入を財源として考えていたそうで、幕府の財政が安定してくると廃止され、参勤交代も元の期間に戻ったということです。
 いやーしかしこれ、回収された大名たちや、実際に米を作っている農民たちはたまったもんじゃなかったでしょうね。年貢に加えてコレですからね…。


 次回は米に関する部分を取り上げる予定です。
 ここまでお読み下さりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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