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徳川さんちの十五代:十代・家治 その2

家治の時代といえば、まずはこの人、田沼意次。
賄賂政治と悪名高い意次ですが、どんな生涯を送り、権勢を誇っていたのでしょうか。
お読みくださる方は続きへお願いします。


◆旗本の子◆
 老中にまで上り詰めた意次、生まれは紀州藩士の親の元でした。
 父は吉宗に取り立てられて幕臣となり、下級ながらも旗本だったそうです。
 意次は14歳で吉宗に謁見後、吉宗の子・家重の小姓となり、家重が将軍に就任するとトントンと出世し、家重の側近くで仕えました。
 政治的には大岡忠光や松平武元といった人材が家重の脇を固めていたので、意次が目立った活躍をする時代ではありませんでしたが、評定所への出席を命じられ、一揆の処断を行うなど、力量を見せ始めていました。

◆家重の引退と入れ替わるように表舞台へ◆
 家重が家治に将軍を譲って引退しましたが、意次は家重の進言で家治の御用取次となりました。
 そして側用人、老中格を経て、54歳で老中に就任します。
 息子の田沼意知(おきとも)も若年寄となり、権勢は絶頂となりました。

◆吉宗の政策を継ぐ男、かも◆
 意次というと、商業を盛んにさせて賄賂を取って私腹を肥やした悪人的なイメージが強いかと思いますが…。
 しかし重商主義の政治は、吉宗の時代から粛々と行われてきたことでした。

 意次が行った重商主義・殖産興業政策は、藩や幕府が経済的に自立するための政策であり、
・株仲間や専売制による物流の統制と安定、それによる幕府への上納金の確保
・輸入に頼ってきた薬種や高級食材の国産化
・幕府の財源を確保するための借金(御用金)、幕府主体の金融業構想(貸金会所)
・各藩の藩政改革による、藩のおカネの確保
などがあります。

 なんだか吉宗の項でも見たことがある内容が多いですよね。
 個人的には、意次は吉宗の遺志を継ぐひとりだったのではないかと思っています。

 先に書いたとおり、意次は14歳で吉宗と謁見しており、家重に長く仕えてきました。
 家重には優秀な側用人たちがついていましたが、その次の時代を任せられる重臣として、意次が選ばれたのではないでしょうか。
 吉宗は、政治というものはすぐに結果が出るものではないことを承知していたと思いますので、自分の敷いた政治の行く末を管理する者として、意次を頼みにしていたのではないかなあと感じました。

◆急速な権力拡大のせい? 息子殺害と失脚◆
 さきほどちょこっと書きましたが、息子の意知は若年寄になりました。
 さらに、意次の弟・意誠(おきのぶ)は御三卿のひとつである一橋家の家老となり、意誠の息子・意致(おきむね)は、家治の子・家基のお付きや一橋家家老を務めたりもしました。

 ぶっちゃけ、旗本の子の分際で老中にまでなり、さらに親族を次々と幕政の界隈に送り込んできたことになります。
 それに対していい顔をしない者も、当然ながら出てきます。

 天明四(1784)年、前年に若年寄に就任したばかりの意誠が、旗本の佐野善右衛門により、江戸城内で滅多斬りにされて命を奪われるという事件が発生します。
 意誠は背後から斬られ、肩1ヶ所、背中3ヶ所、股2ヶ所に怪我を負わされ、逃げて捕まってからも股に骨まで達するほどの深さの傷を負わされました。
 なんかもう、ものすごい執念を感じます。
 股に対しての執拗な攻撃は、「これ以上田沼の血縁を増やしてなるものか」という意思のあらわれのような気も…。

 佐野善右衛門が意知を襲った理由についてはハッキリしていません。
 ペディア先生によると、田沼親子が先祖を粉飾するために佐野家の家系図を借りて返さなかったとか、佐野家が祀っていた佐野大明神を田沼家の家来が横取りして田沼大明神にしちゃったとか、佐野が田沼に賄賂を送り続けたのに昇進させてくれなかったとか、いろいろと噂はあったようです。
 まあ、何が理由であれ、相当腹に据えかねていたには違いない…。
 (ってゆーか、江戸城内でちょいちょい刃傷沙汰が起きてますよね? 大丈夫か江戸城(;^ω^))

 この時から権力は衰え始め、2年後に家治が病に倒れると辞職してしまいます。
 その後、政策の失敗を理由に領地没収・屋敷の返上・謹慎を命じられ、翌年には在職中に不正があったとのことでさらなる領地の没収と隠居謹慎となりました。
 更に翌年の天明八(1788)年、意次は失意のうちに70年の生涯を閉じました。

◆田沼の政治は濁りか否か◆
 意次の政治は評価が分かれるところです。
 自然に左右されるコメ経済から、安定性の高い重商主義への転換を推し進めた英雄か。
 商業を保護したことにより、幕府の年貢が増え、意次への付け届けや賄賂も送られるようになり、私腹を肥やした悪人か。
 変化は痛みを伴うものですし、受け入れがたい内容もあったと思います。
 しかしこの田沼時代がなければ、後の江戸時代の姿もなかっただろうし、どちらかとは言い難いところです。


 次回は家治の時代に起こった災害をご紹介します。
 ここまでお読みくださりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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