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徳川さんちの十五代:十代・家治 その6

 今回は家治の家族について調べてみました。
 皆様ご存知のように、この後は家斉が将軍になるのですが、じゃあ家治の血筋はどうなってしまったのか。
 お読みくださる方は続きへお願いします。

◆正室・五十宮倫子◆
 閑院宮直仁親王の娘。
 閑院宮家は、吉宗や家重の正室となった伏見宮家と同じく、世襲親王家(天皇との血の近い遠いにかかわらず、宣下によって親王家を名乗ることが出来る家)のうちのひとつです。閑院宮家・伏見宮家の他には、有栖川宮家と桂宮家があります。閑院宮家はこの4つの世襲親王家のうち、もっとも創設が遅いのですが、言い換えればもっとも若い親王家です。そことつながりを持ちたいということなんでしょうかね。

 10歳で家治との婚約が決まり、京都から江戸へ入って、6年ほど浜御殿(現在の浜離宮恩賜庭園)で過ごしました。
 婚儀が無事行われ、家治が将軍になると、家治の母である比宮増子から実家の閑院宮家に三百両が進呈されたということです。

 家治との間には二人の娘が生まれておりますが、体調を崩し、明和五(1768)年八月二十日、34歳で亡くなってしまいました。

◆側室・お知保の方◆
 書院番・津田信成の娘で、関東郡代・伊奈忠宥の養女になりました。
 始めは家治の父・家重の元へ奉公に上がり、2年で中臈(将軍や御台所のお世話役)に昇進しました。この早い出世は、家治生母・お幸の方と権力を争うほどだったお逸の方の縁戚だったせいとも言われています。
 家重が亡くなると家治付きの中臈になり、その翌年に長男・家基を出産しましたが、家基は18歳で死去してしまいます。
 お知保の方自身は、寛永三(1791)年に55歳で亡くなりました。

 弟の津田信之は家督相続後に、小納戸→小姓→新番頭→小姓新番頭→御側などを務め、家禄を五百俵から六千石まで増やすという大出世を遂げました。
 これには津田氏が田沼意次との繋がりがあったともされ、田沼→津田→お知保の方という、田沼から大奥への情報ラインだったという見方もあるそうです。縁続きの大事さが垣間見られる人物ですね。
 

◆側室・お品の方◆
 従二位・藤井兼矩の娘で、家治正室・五十宮倫子の供として一緒に江戸入りしました。
 この父親の藤井兼矩についてはよくわかっていないのですが、藤井家は過去に平野社(現・平野神社。京都にあり、平安京遷都の頃からあったというお社)を預かっていたり、朝廷内の祭祀を取り仕切ったり、京での警護役をやっていたりもしていたようです。

 お品の方もお知保の方と同様に中臈となりました。
 そして、大奥年寄の松島の養女となり、家治の側室になったということです。

 家治次男の貞次郎を出産しましたが、貞次郎は生後三ヶ月で夭逝。
 お品の方も、お知保の方より早く、安永七(1778)年に亡くなりました。生年が不明なので何歳で没したのかもわかりませんが、正室のお供としてついてきて、側室に上がっているとということは、そんなに年をとっていたわけではないと思います。

◆長女・千代姫◆
 母は正室の五十宮倫子。まだ家治が将軍になる前の宝暦六(1756)年に、西の丸で誕生しました。
 祝いの行事がわんさか執り行われましたが、二歳で亡くなりました。

◆次女・万寿姫◆
 こちらも母は正室の五十宮倫子。宝暦十一(1761)年に生まれました。
 尾張徳川家9代藩主・宗陸の長男である治休(はるよし)と婚約するも、輿入れ前に十三歳で亡くなってしまいました。
 ちなみに治休も、万寿姫が亡くなったのと同じ年に流行病にかかって、21歳で亡くなっています。

◆長男・家基◆
 母は側室のお知保の方。宝暦十二(1762)年に本丸にて誕生。
 正室・五十宮倫子の養いとなり、はじめ竹千代と称しました。
 元服して諸行事をこなしていきましたが、安永八(1779)年二月に鷹狩の途中で具合が悪くなり、三日後に18歳で死去しました。

◆次男・貞次郎◆
 母は側室のお品の方。家基と同じく宝暦十二(1762)年に誕生。
 同年に側室同士で男子が生まれるという事態に、大奥の権力争いが激化したらしいのですが、先に書いたように、貞次郎は生後三ヶ月で短い命を閉じました。

◆養女・種姫◆
 父は8代将軍・吉宗の次男であり田安徳川家初代の田安宗武。明和二(1765)年生まれ。
 最初は家治の養女であり、家基の妹として本丸に迎えられました。後には家基の正室に迎えるプランがあったようです。将軍の嫁として教育する意味もあったかなと思います。
 しかし家基が亡くなってしまったため、紀州徳川家10代藩主・治宝(はるとみ)に嫁ぎました。
 疱瘡で寛政六(1794)年に30歳で亡くなりました。絵が得意だったそうです。

 家治も子どもが早くに亡くなってしまい、家治の直系の後継ぎはいなくなってしまいました。
 将軍を継いだのは、十一代・家斉。
 次回からは家斉の時代を取り上げます。
 家斉はどこからやってきたのか、彼の血筋が今後にどう影響してくるのか。
 そして55人も子どもがいたそうなんですが、どこまで紹介できますかね(;^ω^)
 ここまでお読みくださりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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