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徳川さんちの十五代:十一代・家斉 その6

 お待たせいたしました、今回は家斉の時代の出版物についてお届けいたします。
 出版物はここまでの江戸時代のまとめ的な本が数多く出ていて、現在でも江戸時代中期から後期を知る貴重な内容になっています。
 お読みくださる方は続きへお願いします。



◆徳川時代のありがた〜いおまとめ◆ 
 まずは『寛政重修諸家譜』からいきましょう。
 武家の系譜書となっており、お目見え以上(国主や領主なども含む)の武家について、神代より寛政年間までの家譜をまとめたものです。
 家光時代の『寛永書家系図伝』の続集にあたり、寛政三(1791)年に、松平定信が目付らに命じて、旗本諸家へ先祖書の提出を求めたのが作成の端緒となっています。
 生誕や養子、元服、賜号、襲封、領地、婚姻、賞罰、死去、法名など、記載内容は多岐にわたっており、さらに提出された先祖書の内容の信憑性などについても吟味され、疑問に思うところは諸説ありなども書き添えられているとか。
 徳川家の御三家・御三卿・その他一門は除かれているものの、本文1520巻、目録や条令10巻の、併せて1530巻ワンセットという膨大な記録です。
 途中で定信の老中解任などがあり、作業が中断されたこともありましたが、文化九(1812)年に無事完成しました。

 『徳川実紀』もこの時代です。
 寛政十一(1799)年に、朱子学者・林述斎によって作製が建議され、文化六(1809)年に寄稿、天保十四(1843)年に完成された、徳川家の歴史書です。
 歴代将軍ごとに年月を追って出来事が書かれる本編と、将軍の事績や発言、逸話などをまとめた附録から構成されています。全517巻。
 将軍の動静、幕府の政策・施設、行事や人事などを細かく記載。幕府的な主観はあるものの、後年の研究には欠かせない史料です。
 初代家康(『東照宮御実紀』)と十五代慶喜(『慶喜公御実紀』)以外はそれぞれの将軍の諡号を冠して『台徳院殿御実紀』などとタイトルが付けられています。
 また現在では、天保十四年までに書かれた10代・家治までの分を『徳川実紀』、それ以降の分を『続徳川実紀』と呼んでいます。
 
 それと、『孝義録』
 寛政元(1789)年に、老中・松平定信が、全国の幕領私領問わず善行を行った者の在所・氏名・善行の内容を書いた書面の提出を求めました。それをまとめたものが二年後の享和元(1801)年に発行され、『孝義録』と題されました。
 これは寛政の改革の中で、朱子学がメインの学問として取上げられ、その中でも「忠孝」を大事にして教化しようという策から生まれた書籍でした。
 孝行・忠義・貞節・兄弟仲良し・家庭内仲良し・一族仲良し・潔癖・農業頑張る等の善行が8563件、50巻に収められ、上製本とともに普及版も作られたそうです。
 文化年間にも同じような内容の本が作られましたが刊行までは至らず、史料として内閣文庫に残っているそうです。


◆地理・地誌のおまとめ◆
 『新編武蔵風土記稿』は、幕府の編纂による武蔵国の地誌です。
 将軍のお膝元であり、天領でもある武蔵国の沿革、郡誌や町誌、地形や地質、日本橋からの距離、道路、戸数、寺社などが259巻に渡り細かく記載されています。
 この時期、力を持ちすぎたと言われる関東郡代・伊奈家の改易が行われたことにより、江戸周辺地域の再掌握と、外国に対する危機意識から日本全土の地理を把握するという目的の元、各地で地図が作られました。
 また、この風土記稿の編纂は関東郡代を兼帯する勘定奉行を中心とした勘定所で行われていました。が、次第に昌平黌へと移っていき、昌平黌内に地誌調所が設置され、全国各所へ地誌編纂を行うよう通達が行われたそうです。
 天保元(1830)年に完成しておりますが、本格的な編纂からは約20年、下調べを含むと約30年の歳月を経て出来上がりました。

 『江戸名所図会』は現代でもちょう有名な、江戸の名所ご紹介本。全7巻、21冊。
 京都の名所を紹介した『都名所図会』を皮切りにあちこちの名所シリーズが刊行され、江戸でも作られることになりました。江戸神田記事町の町名主・斎藤家が3代に渡って編纂したものです。
 なぜ3代に渡ったのかというと、
 斎藤長秋:編纂を始め、出版許可を取った翌年に死去。
 その養子・莞斎:収録範囲を大幅に広げたのはよかったものの、刊行を見ずに死去。
 さらにその息子・月岑:綿密な考証を重ね、各地の地誌などとの比較検討や古老の聞き取りなども行い、ついに刊行。
 という経過をたどったせいでした。
 この書籍のおかげで、江戸時代中期の江戸について非常に詳しく知ることが出来ます。ありがたや〜。
 ちなみに月岑はこのほかにも江戸の年中行事を紹介する『東都歳時記』や江戸の総合年表ともいえる『武江年表』も著しています。こちらもたいへんありがたい内容です。

 天保期には、幕府が諸大名に、国絵図と郷帳の提出を求めました。
 国絵図は絵地図、郷帳は各郷ごとにある村の石高等をまとめたもので、年貢の取立てや土地の把握に役立てました。
 国絵図は80枚余、郷帳は85冊におよび、国絵図として全てが揃って現存しているのは、この天保期のものだけだそうです。

 江戸の範囲を決めた朱引図も、人工が増え拡大していく江戸において、どこまでが江戸なのかをはっきりさせるために作られました。
 江戸の範囲(御府内)を決めた理由については、犯罪者の捜査や江戸追放刑の範囲について、場所によって異なる判断がされていたためです。
 これまで御府内を認識する範囲はいくつかあったのですが、この時に「寺社を建てるための寄付を募ることを許された地域、東は中川、西は神田上水、南は目黒川と品川南、北は荒川と石神井川下流まで」と決定しました。約50年前に決定した町奉行支配の御府内よりも範囲が広く、江戸の拡大の様子がわかります。

◆娯楽本もたくさん◆
 有名なところでは滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』
 歌舞伎における興行年表『花江都歌舞伎年代記』は、興行の年月日や座名、配役、名台詞など。
 江戸の高級料理店・八百善がお店で出す料理や料理法を四季ごとに解説した『江戸流行料理通』
 江戸のショッピングガイド『江戸買物独案内』などが出版されました。

◆後の時代への“知”◆
 解体新書が出版されるまでを書いた杉田玄白の『蘭学事始』
 伊能忠敬の死後に弟子が受け継いで完成させた『大日本沿海輿地全図』
 西郷隆盛が参考にした、儒学者・佐藤一斎の『言志録』
 会沢正志斎による水戸学のバイブル『新論』
 日本最初の植物図鑑『本草図譜』など、後年に影響を与える本も続々と出ました。


 浮世絵などは人物紹介の項目で取り上げたいと思います。
 次回は対外政策についてお送りいたします。
 ここまでお読みくださりありがとうございました。


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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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