FC2ブログ

我が家の大正十二年九月一日&拍手お返事

 九月一日は、大正十二(1923)年に関東大震災が起こった日です。
 家系を調査していたところ、この日に大震災で亡くなっている人がいることがわかりました。

 亡くなっているのは二人です。
 一人は万延元(1860)年生まれの女性。私の曾祖母にあたります。
 もう一人はその息子さんで、明治三十(1897)年生まれです。祖父の弟なので、大叔父になります。

 二人の欄には、こう書かれています。
 「大正拾二年九月壱日時不詳本所区横網町陸軍被服廠跡ニ於テタヒ亡戸主〇〇届出同月参拾日受付」

 この頃、私の曾祖母一家は、東京の本所区(現在の墨田区)に住んでいました。
 関東大震災が起きた日、近隣住民は、同区内にある陸軍被服廠跡(軍服を作っていた施設の跡地)に続々と集まってきました。我が家では曾祖母一家のうち、曾祖母と大叔父が被服廠跡に避難しました。この時存命していた曽祖父と祖父は、おそらく仕事だったのでしょう、一緒にはいなかったようです。

 被服廠跡は火災旋風で激しく燃え、4万人が命を落としたと言われています。
 曾祖母と大叔父も、その中に入っていました。

 地震が起きた一日から、届出を出した三十日までの間、曽祖父と祖父はどんな気持ちでいたのか。
 63歳と26歳で亡くなった二人に、多くの失われた命に、合掌。


 本日もお越しくださいまして、拍手もありがとうございます。お返事は続きへ。



〜拍手お返事〜
>うみのすけさん

 おはようございます、いつもありがとうございます。
 お天気があまりよくなく、安定しない一週間になりそうですね。

 ブログ記事への感想、ありがとうございます。
 家斉の時代の出版物、史料的価値がとても高く、ありがたいですね。
 地理関連は海防もそうですし、農業再編による年貢の考慮もあったのではないかとも思います。より正確な地図を作るための技術も発達してきたところでもありますし。
 武家の系譜や徳川の歴史については、まとめることによって徳川家の威厳を高めるのと、来るべき対外戦争のために軍の組織を考えるためでもあったのかなとか、余計なところまで考えてしまいました(;^ω^) 軍を組織するのにも家格の順序があってどーのこーのとかあったかもしれないなあと。どんな目的で作られたにしろ、後世の研究家には貴重な情報が満載です。
 名所図会もその派生だと思います(*^^*) おカタい目的で作られた国絵図から、人々が楽しめる地図まで、幅広く地図や土地の歴史が記された、いい時代でしたね〜。

 テレビ番組、歴史系が少ない週でした。
 小田原、ここ数年の大河ドラマで取上げられており、また、地元の方々のたゆまぬ努力によって、お祭りが盛り上がっているようですね。有名な武将が一堂に会した場面ですので、まだまだ注目度は上がっていくかと。真田も敵方なのに人気なんですね、北条一辺倒でないところが面白いです。

 今週もお言葉をありがとうございました。
 こちらからも後で伺わせていただきます(^_^)/~


 押してくださった皆様、ありがとうございました。

コメント

非公開コメント

web拍手
コヤマライヴジム
ブクログ
カテゴリ
プロフィール

小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

QRコード
QR
リンク
検索フォーム