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徳川さんちの十五代:十一代・家斉 その7

 江戸時代の対外政策といえば、オランダや清との限定貿易や、朝鮮通信使、もうちょっと後ではありますが、アメリカがやってきて開国というイメージが強いかと思います。
 が、この時代にはすでにロシアとあれこれあったりしました。というか、ロシアとのあれこれがこの後、他の外国への態度の基準になった気もいたします。
 お読みくださる方は続きへお願いします。



◆割と平和だった対オランダ◆
 江戸開府から約200年、長崎を通じてのオランダとの関係は、友好的なものでした。
 少し前の吉宗の頃には漢訳蘭書の輸入が行われたり、家治の頃になると、ドイツ語から翻訳された『ターヘル・アナトミア』が『解体新書』となり、蘭学の勃興期でもありました。

 オランダ正月という行事も行われていました。
 長崎の出島でオランダ商人が、太陽暦の一月一日に、長崎奉行の役人や通詞、出島の責任者などを呼んで祝宴をしていたそうです。
 それを長崎遊学中に知った蘭学者たちも行うようになり、江戸では大槻玄沢(杉田玄白や前野良沢の弟子)が、家塾でも行っていました。
 後にこの行事は、蘭学者たちが情報交換をしたり、親睦を図るための場となっていきました。ロシアに行った大黒屋光太夫が招かれたこともありました。蘭学者ネットワークか…。


◆ロシアとの領土・交易問題◆
 寛政年間になると、ロシアが千島列島に進出してきて、列島の真ん中ぐらいにあるウルップ島へ植民団を派遣してきます。

 これまで江戸幕府は、蝦夷地を松前藩に任せてアイヌとの交易を行わせ、支配を広げていきました。
 ロシアの南下をよく思わない幕府は、松前藩とアイヌの関係が悪化していったこともあり(シャクシャインの戦いやクナシリ・メナシ事件など)、寛政十一(1799)年に蝦夷地を直轄地としました。同年には蝦夷地で交易を拡大していた商人・高田屋嘉兵衛に命じて、ウルップ島のお隣であるエトロフ島への航路の確立と開発を行わせます。

 クナシリとエトロフの間には3つの潮流があり、それらの合流地点がエトロフの南にあるため、通行の難所となっていました。
 それを高田屋嘉兵衛はじっくり観察して発見し、無事に通れる航路を切り開いたのでした。

 その五年後の文化元(1804)年、ロシアの宮廷侍従長でありロシア領アメリカ会社総支配人(毛皮取引)であるレザノフが長崎にやって来ました。
 レザノフは、漂流民の大黒屋光太夫を送り届けたラスクマンが交付された入港証と、アレクサンドル一世(エカテリーナ二世の孫)の国書を持ち、国書の受け取りと交易を要求しました。
 しかし江戸幕府側がこれらを拒否したため、レザノフは激怒。部下に命じてサハリン島(樺太)や南千島の幕府施設、運上所や倉庫を焼払う、番人を捕虜とする、はてはエトロフ島をも襲撃するという事件を起こしました。
 幕府も黙ってはおらず、エトロフ島では津軽・南部藩の守備隊300人にロシア兵を撃退させ、ロシア船の打払い令を出し、蝦夷地の各所に東北諸藩の兵3000名を配備しました。北海道にはあちこちに陣屋跡があります。


◆まずは穏便に帰ってもらいたい・薪水給与令◆
 レザノフの要求を拒否した時点でロシアとの関係が悪化するなと思った幕府は、文化三(1806)年、ロシア船が来た時の手順を考えました。

フェーズ1:外国船を発見したら、警備増員、見張りを派遣する。
フェーズ2:もしロシア船だったら説得し、穏やかに帰っていただく。
フェーズ3:もしそのロシア船が燃料・食糧不足ですぐに帰れない場合、物資を与える。上陸は許さない。
フェーズ4:すぐにお帰りいただけない場合、頃合いを見計らって打ち払う。

 ただしこれは蝦夷地では適用されず、三年前に出していた「外国船が着岸したらその場に繋留させてまず報告」というお達しを優先させました。
 ロシアとの激しい領土問題を紹介しておいてアレなんですが、幕府も“この時はまだ”ロシア船(やその他の外国船)を見たらブッ放せと言ったわけではなかったということですね。しかし…以下に続く。


◆おまんら許さんぜよ・異国船打払令◆
 文政八(1825)年に出されました。
 これまでにもロシア船に対する打払令は出されていましたが、イギリスの軍監がオランダ国旗を掲揚して長崎に入港した「フェートン号事件」、同じくイギリス捕鯨船の乗組員が常陸国大津浜に上陸した「大津浜事件」、イギリス船員が薩摩国の宝島に上陸して狼藉に及んだ「宝島事件」などが相次ぎ、幕府は打払令をすべての外国船に適用することにしました。
 日本国の沿岸に近づく外国船を見たらとにかく追っ払え、通商をしているオランダの船を間違って打っても構わんという、けっこう過激な内容です(オランダとは一応、入港の手続きを変え、異国船との区別を明確に行えるようしました)。実際にアメリカの捕鯨船「モリソン号」を打ち払っています。


 次回からはこの時代の人物を紹介していきたいと思います。
 ゴローニンとかシーボルトとかも、事件的には大事なんですけどそちらで。
 ここまでお読みくださりありがとうございました。

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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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