2017年12月13日  徳川さんちの十五代:八代・吉宗 その1

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将軍紹介も8代目、吉宗まで到達しました。
だいたい半分ぐらいまできましたね、お付き合い下さりありがとうございます。

家康が創設した御三家、やっと本来の役目を果たす時が来ました。紀州藩から将軍登場です。
家系図を見ると、まだそんなに家康から血筋的に離れていないような気がしますねえ。
江戸住みの家康の血筋がいなくなっただけで、家康自体の血はまだ絶えたわけではありません。
この人と言い家康と言い、実際に自ら領地を統治していた人たちは幕政を動かすのもウマイんだなと思います。


◆簡易プロフィール◆
生年:1684年(貞享元年十月二十一日)
没年:1751年(宝暦元年六月二十日)
享年:68歳
将軍在位:29年1ヶ月
身長:155.5cm
一言:「身長185cmとか言われてるけど、遺品のわらじがでかかっただけだからね」

今回は吉宗の生涯をさっくりとご紹介いたします。
便宜上、どの時代も「吉宗」の呼称で通させていただきますね。
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2017年12月06日  徳川さんちの十五代:七代・家継 その4

 今回は7代将軍家継の母たち。
 6代将軍家宣の正室・天英院と、側室・月光院についてです。
 ふたりとも家宣が没してからそれぞれ落飾して院号を授かっていますが、「天」に「月」と空に関わる名がつけられていますね。
 天英院が大きな「天」、その天に燦然と輝く「月」、なんだか因縁めいたものを感じてしまうのは私だけでしょうか。

 将軍を、いや、一人の男を間に挟み、権力の天秤も右へ左へ傾けるふたりの女、と言えば大げさですかね(苦笑)
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2017年11月29日  徳川さんちの十五代:七代・家継 その3

 絵島生島事件、江戸時代の事件としてあまりにも有名ですね。
 家継が4歳で将軍を継いだ翌年、正徳四(1714)年一月十二日の出来事です。

 大奥年寄の絵島一行が、家継の母・月光院の代参として芝の増上寺を訪れ、その帰りに歌舞伎を見物。
 芝居後に座元の居宅でイケメン役者の生島新五郎たちを呼んでのドンチャン騒ぎをして江戸城の門限に遅れてしまいました。
 その結果、絵島も生島も、その周りの人物もまるっと処分され、その数は1500人にも及ぶと言われています。

 上の説明では身も蓋もないので(苦笑)、もう少し見てみましょう。
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2017年11月22日  徳川さんちの十五代:七代・家継 その2

 先代将軍の時代から引き続き、新井白石とともに幕政を支えた間部詮房。
 早くに父・家宣を失ってしまった家継にとって、詮房は父親代わりでもあったようです。

 家継が江戸城内の舞台に出て遊ぶ時などは、家継が詮房のことを「えちえち」(詮房は越前守)と呼び、詮房は「ととぽむ、ととぽむ」と答えたそうです。
 この「ととぽむ」というのは猿楽(現在の能楽)の鼓の音を表していると言われ、生前家宣が猿楽を好んだことを懐かしく思わせるようなものであったとのことです。

 家継の将軍在位は4〜7歳。そのぐらいの可愛らしいお子様が、「えちえち」と言いながら近づいてくる…さらにそれを笑顔で迎える側用人…なんだか萌えですなあ(*°∀°)=3


 イケメンでイクメンでもあったと伝わる詮房ですが、その裏では家継の母・月光院と…?
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小山奈鳩

Author:小山奈鳩
時々江戸時代(主に幕末)へ暴走します。

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